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「引っ越すんだって? じゃあ、飛行機で通える?」

2011/08/11
エクランド 源 稚子

新生児NPとしてNICUや一般新生児室で診察・治療に当たる筆者。

 前回は、私がアメリカで看護学部に入学することになったいきさつを簡単にお話ししました。当時から長い年月がたち、私は今、 新生児集中治療専門のナース・プラクティショナー(nurse practitioner;NP)をしています。NPの資格については、近年日本でも議論の対象になっていますが、アメリカでは1960年代半ばからあるものです。簡単に言えば、看護の教育を受け、実践を積んだ看護師が、さらに大学院レベルで様々な専門分野に関する医学的教育を修め、看護のバックグラウンドを大切にしながらも診察や治療に携わるという職務です。

 新生児NPは、新生児専門医と連携しながら、主にNICUや一般新生児室の患児の診療を行っています。また、医師が同伴しない搬送などでも第一線で診療に当たります。さらには、看護教育にも深くかかわっています。

 私が現在所属している新生児医療グループは、医師が9人、新生児NPが15人からなるチームで、複数の病院の新生児医療を担っています(*注)。グループの事務所はテネシー州ナッシュビルにあり、私たちが新生児医療を担っている病院は、すべて中部テネシーに位置しています。

夫の突然の転勤で…
 6年前のことです。夫の転勤があって、ルイジアナ州の北部に引っ越しをすることになりました。ナッシュビルからは750kmくらい離れた場所です。

 当然、職場を変える必要があると思っていました。ところが、新生児専門医でチームのディレクターであるサミーは、ここで思いもかけないことを言いました。「あっちに行っても、飛行機でここまで飛んで来られるようなら、辞めないで続けてもらえるよね」。

 この言葉をきっかけに、ルイジアナ州とテネシー州の間を頻繁に飛ぶ生活が始まり、もう6年。月に1~3回、一度行ったら、大体72時間以上は働いています。

 新生児NPの仲間は全米のあちこちに散在していますが、こうした通勤のパターンで就業を継続している人はあまりいません。ただし、過疎地では新生児NPが十分に確保できないため、一時的にほかから遠征を頼む病院や新生児医療グループはあります。例えば、フルタイムの新生児NPであるサウスダコタ州の友人は、2カ月に1度ほどミネソタ州の病院へ飛んで、週末勤務をこなしています。

NPレジデンシーで運命のボスとの出会い
 話はさらにさかのぼって、 サミーがディレクターを務める新生児医療グループに私が所属するまでのいきさつをお話しします。

 2002年の夏、私はナッシュビル市内のヴァンダービルト大学の看護大学院で新生児NPレジデンシーの最中でした。全ての臨床研修をヴァンダービルト大学病院のNICUで行っていましたが、あるとき、「もし、あなたの研修担当となってくれる新生児NPがいるのなら、複数の病院でハイレベルの新生児医療を体験した方がいい」という助言を受けました。確かにそうだと思った私は、同じ市内にあるセンテニアル・ウーマンズホスピタルのNICUで長く働く新生児NPのキャシー(その時点で、複数のNICUで15年以上のキャリアを持っていました)に連絡を取ってお願いしたところ、快く受け入れていただきました。センテニアルでの研修は、ヴァンダービルトでの研修とはカラーが違っていました。

 当時60床のヴァンダービルト大学病院では、毎朝6時頃にNICUへ出向き、当直の小児科レジデントから報告を受けた後、自分の担当患者の診察をしてオーダーを書いたりしていました。その後、小児科レジテントたちと並んで、アテンディング(指導医)や新生児科のフェローらと患児のベッドサイドを回ってラウンドを行うという環境でした。

*注:独立した開業医グループが医療施設と契約を結び、その施設で診療を行う形態で、グループ内のスタッフはグループと雇用契約を結んでいる。

著者プロフィール

エクランド源稚子

ペディアトリックス・メディカル・グループ新生児専門NP/
ヴァンダービルト大学看護大学院新生児NP講座クリニカルインストラクター(非常勤)

1987年渡米。91年ボブ・ジョーンズ大学で看護学学士取得。グリーンビル・メモリアル・ホスピタル、セント・トーマス病院、ジョンズ・ホプキンス大学附属病院、ヴァンダービルト・メディカルセンターなどで、ER、CCU、移植外科ICU、NICU勤務の後、ヴァンダービルト大学看護大学院で学ぶ。2002年新生児NP資格取得。「成田から飛び出して、そのまま24年。精神的には着地するゆとりもないような人生でしたが、これまでの航跡すべてがギフトだと思っています」

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