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インディアナ州で医療訴訟が少ない理由
医療トラブルを訴訟前に審議するメディカルレビュー・パネルを体験

2012/08/20
岡野龍介

メディカルレビュー・パネルの委員となった筆者の元に届いた資料。およそ1500ページにも及んだ。

 アメリカでのレジデンシーもフェローシップも終わり、就職先を探していたとき。インディアナ州は住みやすかったけれど、なんだか田舎で退屈だし、東海岸や西海岸にも住んでみたい…。そんなことを考えながらあちこち就職先を当たり、面接にも行きました。なのに、結局はインディアナの病院に就職したのには理由があります。

 インディアナは生活費や住宅費が安く、人口も多すぎず少なすぎず、生活しやすい土地です。しかし、医療者として特筆すべきは、この州では医療訴訟が少なく、訴えられても賠償金額に上限が設けられているということ。その結果、インディアナ州は医師のリクルート雑誌などで常に「働きたい場所ランキング」の上位に入っているのです。

インディアナ州でいち早く成立した医療過誤法
 1970年から1975年の間に、アメリカにおける医療訴訟の件数は42%増、賠償金額は410%増となり、それをカバーするために医療過誤保険の掛け金は300%上昇しました。このコストは医師や病院を金銭的に圧迫し、全米の多くの病院がハイリスクの手術を行わなくなったり、救急患者の受け入れを停止したりという事態に陥りました。

 このような状況を改善すべく、インディアナ州は全米に先駆けて1975年に医療過誤改革法案(Indiana Medical Malpractice Act)を可決しました。今では似たような法律を持つ州は30近くに及びますが、憲法違反であると訴えられて無効となったり、骨抜きにされたりした州も数多くあります。インディアナ州でも、幾度となく憲法違反との訴えが起こされましたが、今日までこの法律は覆されていません。

 インディアナ州の医療訴訟賠償金の上限(1件当たり)は総額125万ドルです。被告医師が支払わなければならない額は1件当たり25万ドル、年間75万ドルまでという上限があり、賠償金の残額があれば州の患者賠償基金が肩代わりしてくれます。また、原告側弁護士の報酬は、賠償金額のうち25万ドルまでは「常識的な範囲内で自由に設定してもよい」けれども、25万ドルを超える分については15%を超えて報酬とすることが禁じられています。この規定によって、むやみに高額医療訴訟を起こそうとする報酬目当ての弁護士がはびこるのを防いでいます。

 Indiana Medical Malpractice Actの存在によってインディアナ州では医療訴訟のリスクが下がり、他州に比べて医療過誤保険の掛け金も低く押さえられています。ちなみに、2011年の医療過誤保険の掛け金は、麻酔科医である私の場合で年間1万6000ドルでした。これは比較的低リスクとされる内科医の掛け金の1.38倍、高リスクとされる産婦人科の0.26倍です(インディアナ州内での比較)。なお、掛け金は診療科目で異なるのはもちろんですが、経験年数、過去に訴えられたことがあるか、どのような症例を主に扱っているかで、それぞれの医師ごとに異なってきます。

うわさに聞いたメディカルレビュー・パネルの委員に
 インディアナ州で医療訴訟が提起されようとする場合、法廷に直接持ち込まれるのではなく、まずは「メディカルレビュー・パネル」と呼ばれる委員会で審議されます。このパネルは、当該訴訟に関する医療分野の専門医3人と、原告・被告双方の弁護士、審議を取りまとめる窓口の役目を果たす中立の弁護士で構成されます。ここで少なくとも2対1で「起訴相当」との結論が下されなければ、通常は裁判には進みません。インディアナ州では、提起されようとした医療訴訟の約80%がメディカルレビュー・パネルによって棄却されています。

 「君をメディカルレビュー・パネルの委員として推薦したいんだけれど、いいかね?」。ある日、唐突に職場の先輩医師から尋ねられた私は、すぐさまこれを承諾しました。うわさに聞いていたメディカルレビュー・パネルです。このときは詳細なプロセスなどは全く知りませんでしたが、「いい経験になるだろう」と思って引き受けました。

 メディカルレビュー・パネルの委員となる医師は、あらかじめ上司や同僚などの推薦により委員候補として登録されています。対象案件が発生すると、プロフィ―ルや専門分野に鑑みて候補者の中から3人が選定され(リストから原告が1人、被告が1人を選び、残る1人は選任された2人の医師の合議で指名)、参加の意志を問う手紙が届けられます。

著者プロフィール

岡野 龍介

インディアナ大学病院麻酔科アシスタント・プロフェッサー

1962年ニューヨーク生まれ。1988年産業医科大学卒。1993年に新日鉄広畑病院で麻酔科を設立、手術室・ペインクリニック・救急部の設計に携わる。10年間勤務の後、渡米。2003年インディアナ大学病院麻酔科レジデント、2007年シンシナティ大学病院ペインフェローを経て、2008年より現職。米国麻酔専門医。趣味はサイクリング、料理、日曜大工、映画鑑賞など。

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