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【寄稿3】
水には金を払えるが、医療には金を払えない日本人
米国ピッツバーグ大学 津久井宏行

2008/01/10

つくい ひろゆき氏。1995年新潟大医学部卒業、東京女子医大日本心臓血圧研究所外科入局。2003年より、ピッツバーグ大学に留学。心臓移植、人工心臓Fellowshipの後、現在、University of Pittsburgh Medical Center Passavantにて、Advanced Adult Cardiac Surgery Fellow。

 かつての日本は、「水」と「安全」はタダの国、といわれてきた。

 しかし、現在の日本では、「おいしい水は買うもの」という認識が浸透してきているのではないだろうか。蛇口をひねれば、廉価な水が飲めるにもかかわらず、高価なミネラルウォーターのボトルがコンビニの棚にずらりと並ぶ。日本ミネラルウォーター協会の統計によると、1986年に83億円であった消費が、2006年には、1862億円まで増えている(金額は「国内生産」と「輸入」の合計)。その成長率たるや20年間で約22倍だ。

 「安全」もしかり。各種防犯グッズや安全を売り物にした商品が店頭に並ぶことが当たり前になった。また、安全に関するサービスを提供する会社の業績は順調のようで、今や東証一部に警備会社が3社も上場するような時代になった。

 なぜ今、日本人は高い金を払ってまで、「水」や「安全」を買うのだろうか? ―― 「水」や「安全」は命にかかわる大切なもの。命にかかわるサービスにお金がかかるのは仕方がない、という認識があるからだろう。

 ん?ちょっと待ってよ。

 「医療」は、「水」や「安全」よりも、より直接的に命にかかわるサービスであるはずだ。「医療」に払うお金は、「水」や「安全」と同じように増えているのだろうか。いや、日本人は、医療費の自己負担増に対して非常にネガティブだという印象を受ける。

 なぜ、「水」や「安全」には金を払い、「医療」に払いたがらないのか?

 「水」や「安全」を売り物にしているビジネスが、高額な支払いを伴うにもかかわらず成り立つ最大の理由は、「お金を払う価値がある」と消費者が感じるからだろう。

 「水」は、飲むことで、その旨さの違いを素人でも判断しやすい。「安全」は、特殊な鍵やセンサー、緊急時の連絡手段など、目に見える形で、その価値が実感できる。つまり、それほど専門的な知識を持ち合わせていなくても、そのサービスの価値を比較的容易に判断できるから、「このサービスに、この値段を払っても仕方ない」と納得できるのではなかろうか。

連載の紹介

【寄稿】これだけは言いたい!
日常診療から、医療経営・制度、医師のキャリアやライフスタイルに至るまで、医療・臨床医にまつわる様々なテーマに関する、論客による寄稿のコーナーです。1回完結の場合もあれば、テーマによっては複数回にわたり連載します。

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