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医療改革―経済学の知見を今活かすとき―
松井彰彦(東京大学経済学研究科)

2008/11/04

まつい あきひこ氏○1985年東大経済学部卒業。Pennsylvania大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授、東京大学経済学部助教授を経て2002年に東京大学経済学研究科教授に就任、現在に至る。

 医療、教育、福祉の三分野は、その必要性にもかかわらず経済学の知見が生かされていない代表的分野と言ってよい。本稿では、医療に焦点を絞り、一経済学徒の私見を述べることとしたい。

 いよいよ風邪をひきやすい季節。小児科のある病院では、鼻をすする子供たちをよく見かけるようになってきた。小児科をはじめ、医療現場が冬の時代に入ったといわれる。人口当たり医師数やGDPに占める医療費の割合は先進国で最下位クラスにもかかわらず、極めて低い診察料負担のおかげで一人当たりの受診回数は突出して多く、乳幼児死亡率も最も低い部類に属するという。これを支えているのが、医師たちの身を削るような超過労働である。

 加えて、近年増えてきた医療訴訟。少子化の影響があるとはいえ、激務に加えて、リスクを伴う産婦人科や、診療報酬が少ない小児科の休止がここ数年他の診療科を引き離している。もはや医師不足は過疎地だけの問題ではなくなりつつある。何をどう変えれば医師不足を解消できるのであろうか。

 「日本全体で見た医師不足は、『急性期医療を担う医師が実際の急性期医療に割く時間を十分にとれない危機』と見なしてよい」と述べるのは、慶応義塾大学教授の田中滋氏(『週刊東洋経済』2007年11月3日号)である。

「書類の記入や患者に対する説明に費やす時間が大幅に増えている。…補助人員を手当てできるような報酬の導入とともに、大病院の外来の初期診療は、地元の開業医も交代で分担する仕組みを普及させるべきである」。

 田中氏の主張は医師全体の不足というよりは、大病院に所属する勤務医、その中でも一部の診療科に属する医師の不足を指摘したものといえよう。医師の絶対数というよりその配置に問題ありというわけである。

 一橋大学教授の井伊雅子氏は、東京23区の多くが小児医療費の窓口負担をゼロにしていることを挙げ、「小児医療はただでさえ人手不足なのに、…必要以上の受診を招いている」とし、肝心の急性期医療に医師の手が回らないことを危惧する。

 患者やその家族に対する説明は必要であるが、「最近、医療現場にもクレーマーが増えている」と嘆くのは医師で作家の久坂部羊氏(『中央公論』2007年12月号)である。

 同氏は、一般の人は、「つい医療は安全で当たり前だと思ってしまう。一方、医療者は、医療が決して安全ではなく、偶然に左右されるものだと知っている。ここに…温度差が生じる」とその原因を述べる。

 そのギャップがときとして医療訴訟を惹起する。民事の新受件数で見ると、ここ2年ほどは前年を下回ったとはいえ、平成元年の350件程度から昨年の900件超と、訴訟件数は大幅に増加し、刑事事件と相俟って医師の萎縮効果を招いている。刑事告発について、賛否両論を載せ、その是非をわれわれに問いかける論壇誌も見られる。

 医師の自浄作用を担保したうえでの話になるが、「闇の中にあった医療事故の一部がようやく表面に出始めた」とする元福岡高検検事長の飯田英男氏(『論座』2007年12月号)さえも認めるように、「刑事処分の行使を必要最小限にとどめるべき」であろう。

 医療に関わる問題は、専門性が高いゆえに一般の人間にはなかなか理解しづらい。その結果、「白い巨塔」問題が発生するかと思えば、それを防ごうとする風潮に便乗する理不尽なクレームも発生しやすい。このような状況下ではいわゆる市場理論が説く市場メカニズムは有効に機能しないことが経験的にも理論的にも指摘されてきた。

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