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ある内科医と妻の決断―知人の闘病記に思う

2008/11/11

「このごろ、先生の投稿をネットで見かけないな」―。かなり前に奥様がご病気だとお聞きしましたが、その後はメールのやりとりなどもなく、疎遠になっていました。

 先日ある新聞の医療特集で、そのご事情を知るに至りました。10月下旬に朝日新聞の「患者を生きる」という医療シリーズにこの知人、岩岡秀明先生と奥様の闘病記が連載されました。

 岩岡先生は、船橋市立医療センター(千葉県)の内科外来部長であり、糖尿病のエキスパートです。インターネットの世界で精力的に活動され、自院の医療リスクマネジメント活動でも要職を務められ、医療訴訟では積極的に鑑定などに協力されています。

 そんな岩岡先生もここ数年、医療系メーリングリストなどでのご発言がめっきり少なくなり、ネット上だけでなく、近くでお話したこともある身とすれば、「どうしたのだろう?」「奥様の闘病をサポートするのに大変なのだろうか?」と心配していました。記事によると、奥様の闘病をしっかりと支えながら、今春から東大の医療政策人材養成講座の「学生」になり、週1回平日の夜に、診察を終えてから都内に通っておられるとのことです。

 岩岡先生と奥様の闘病記の中で、ご夫婦が悩まれたのは、この記事のテーマでもある医療における意思決定の難しさです。奥様のご病気は、悪性リンパ腫ですが、仮に岩岡先生が糖尿病専門医でなく、血液内科医であっても悩みは尽きないでしょう。治療の成功した例、治療がうまくいかなかった例、くすぶったままの例。その領域の専門家ならば、どのようなタイプも経験しますから、悩みは専門外の方よりも強くなることもあり得ます。

 岩岡先生は2004年の夏に、奥様のご病気が見付かったときから、ご夫婦で治療を求める行脚を始めました。千葉県のがん専門病院で病気の確定診断を受け、血液内科に従事する友人3人に相談し、奥様ご本人の意見を尊重して国内でトップクラスといわれる病院にかかります。

 入院から通院での化学療法となりますが、症状は一進一退を繰り返しました。配偶者の予後を心配する医師である夫といえども、主治医に強く不安を訴えたり、細かい質問をぶつけることは困難だったようです。

 ご夫婦は、患者会に入り同病の人々から情報を得たり、また情報収集に励み奥様の病型である「ろほう性リンパ腫」の知識を深めます。にもかかわらず、腹水が溜まり、高熱が続きました。それでも治療を変えることのない主治医に、お二人は、このままではいけない、「何とかしないと」と、2005年4月に、友人に相談し、都内の大学病院に転院します。

 転院後も転院前とは異なる化学療法を続けますが、完全寛解は得られず、06年春には移植療法の検討を始めます。移植は骨髄移植にせよ、幹細胞移植にせよ、大いなる効果とシビアな副作用の可能性の両方をはらみます。患者会の仲間には、移植を受けて元気になった人も、大変な治療だったと述懐する人もいます。当事者としての悩みはつきません。

著者プロフィール

竹中郁夫(もなみ法律事務所)●たけなか いくお氏。医師と弁護士双方の視点から、医療訴訟に取り組む。京大法学部、信州大医学部を卒業。1986年に診療所を開設後、97年に札幌市でもなみ法律事務所を開設。

連載の紹介

竹中郁夫の「時流を読む」
医療のリスクマネジメントを考えるには、医療制度などの変化に加え、その背景にある時代の流れを読むことも重要。医師であり弁護士の竹中氏が、医療問題に関する双方向的な意見交換の場としてブログをつづります。

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