日経メディカルのロゴ画像

医学教育の処方箋―医学生の立場から
尾崎章彦、勝屋由幾、比嘉しりか(東京大学医学部5年)

2009/02/04

<日本の医療を変える!>

 この合言葉の元に、医師のキャリアパスを考える医学生の会は作られました。作られてから3か月の間に、国立がんセンター院長の土屋了介先生、慶應大学教授の渡辺賢治先生、日本医師会常任理事の内田健夫先生、山形大学医学部長の嘉山孝正先生といった日本の医療のパイオニアとの勉強会を重ねてきました。

 更には、日本中に医学生のネットワークを作る足掛かりとして、同じ志を持つ医学生の元、北海道、関西、九州でも活動が始まっています。怒涛の3か月でしたが、私たちはまだまだ満足していませんでした。

 そんな私たちに最高の話が舞い込んで来ます。なんと、厚生労働省の土屋班会議の場で医学教育のあり方について提言する機会が与えられたのです。前代未聞の話に私たちは興奮しました。そして、最高の提言をすることを誓ったのです。

<そもそも大学って何?>

 しかし提言を生み出す過程はまさに苦しみの連続でした。何日も徹夜をしても前に進まない日々。互いに苛立ち、最初の誓いを諦めてしまいそうになった時もありました。しかし、その中で私たちは根本的な問題に立ち返ることになります。

「そもそも大学とは何なのだろう。」そう考えたとき、私たちに浮かんだのは知的好奇心を刺激する場であって欲しいという答えでした。ただ、興味の赴くままに物を学び、人と出会ってお互いに刺激を受ける、そんな場です。

 知識というのは、verbal(言語化できる)なものとnon-verbal(言語化できない)なものの2つに分けられますが、その比重は時代と共に大きく変化してきました。

 たとえば、洋書の教科書がとても貴重で、先生しか持っていないような時代を想像してみてください。たとえ先生がその教科書を棒読みしていたとしても、他に知を得る方法がないのだから、学生はその授業に群がるでしょう。

 一方、この21世紀という時代に、教科書棒読み講義などをしようものなら、学生はクモの子を散らすように逃げていってしまうに違いありません。

 なぜなら、教科書に載っているverbalな情報は、本屋でもネットでも、簡単に手に入れることが出来るのですから。verbalな知識を得る手段は、もはや講義である必要はありません。情報化社会は、講義の意義を革新的に変えてしまったといえるでしょう。

<3人の英雄との出会い>

 そんなことを考えていたとき、私たちは3人の英雄と出会います。山形大学医学部長の嘉山孝正先生は学生時代、ひたすら“内科”“Medecina”といった医学誌をご自分の興味と必要性に任せて読みふけるという、かなり自立した勉強スタイルを貫かれました。

 先生は、知識を詰め込むのではなく、原理に立ち返って理解することが大切だと強調されています。一番大切なのは自分に何が必要なのかを見極めることであり、学ぶ手段は与えられるものではなく自分で選び取るものなのだということを、思い知らされました。

この記事を読んでいる人におすすめ