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産科医療補償制度
産科無過失補償への不安
井上清成(弁護士)

2009/02/24

いのうえ きよなり氏○1981年東大法学部卒業。86年に弁護士登録、89年に井上法律事務所を開設。日本医事新報に「転ばぬ先のツエ知って得する!法律用語の基礎知識」、MMJに「医療の法律処方箋」を連載中。著書に『病院法務セミナー・よくわかる医療訴訟』(毎日コミュニケーションズ)など。

 今回の記事は『MMJ』2008年10月号所収の「医療の法律処方箋・第19回・産科医療補償制度」を転載させていただきました。

1 無過失補償制度の開始

 2009年1月から産科医療補償制度がスタートする。アメリカ・バージニア州の分娩に関連する神経学的後遺症を対象とする無過失補償制度をモデルとし、日本流にアレンジしたものらしい。ただ、そのアメリカでは必ずしも十分に機能していないと聞く。日本ではどうであろうか、不安を免れない。最大の注目点は、「紛争の防止」という目的(標準補償約款第1条)に寄与できるかどうかであろう。訴訟その他の医療紛争を誘発する恐れがあるからである。

2 法的安全弁の不備

 各国の無過失補償制度は、訴訟を誘発させないようにする法的安全弁を、それなりに備えているように思う。

 たとえば、モデルとなったアメリカの制度では、無過失補償をもらうならば訴訟はできないし、訴訟をするならば無過失補償はもらえない。それは患者の選択にゆだねられる。ニュージーランドの無過失補償は、医療に限らない。事故賠償は広範囲に、無過失補償一本の法律を制定し、そもそも訴訟をできなくしてしまった。

 スウェーデンの無過失補償には、訴訟制度自体にその隠された仕掛けがある。つまり、無過失補償でもらえる金額と損害賠償請求訴訟でもらえる金額とを、後者から慰謝料を外したり損害賠償金額を低額化したりすることなどによって、ほぼ揃えてしまった。これにより訴訟のインセンティブを無くしたのである。

 ふり返って、これから開始する日本の産科医療補償制度には、アメリカ方式のような、もしくはニュージーランド方式のような、またはスウェーデン方式のような法的安全弁が何ら備えられていない。専ら制度の運用の中で、事実上、訴訟の誘発を防ごうとしているようである。

3 訴権の侵害?

 それが何故なのかについて、ある法律の専門家が憲法32条(何人も裁判所において裁判を受ける権利は奪われない)との関連で法的見解を述べたことがあるらしい。「補償金を支払うかわりに裁判を受けさせないということは訴権の侵害に当たると解釈される」という趣旨の話のようである。しかし、その解釈は、当を得たものではないように思う。

 確かに、予防接種や労働者災害のような国家制度としての無過失補償制度だったとしたならば、それこそニュージーランド方式のように法律で訴権を制限でもしなければ、アメリカ方式のような訴権制限をしてはならない。

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