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後出しじゃんけんを法律で認める国
中澤堅次(済生会宇都宮病院院長)

2009/03/11

なかざわ けんじ氏○1967年慶應大医学部卒業。2004年より済生会宇都宮病院院長兼看護専門学校長。現在、慶應大医学部内科学教室客員教授、NPO法人医療制度研究会理事長。

■ 事故調とは別な死因究明制度の検討がはじまった

 最近、自民、公明両党の国会議員が、相撲部屋の新弟子死亡事件に触発され、死因究明制度の立法化に向けて、議員連盟を立ち上げたという記事を見た。全国厚生局に担当部署を置き、法医学の裏づけを持つ大掛かりなもので、ばかばかしい話だと思う。

医療事故調査委員会も同じように全国組織なので、ダブルで出来るのかと思ったら、医療事故調が出来たらこれは作らないといっている。彼らの頭の中は、犯罪捜査も医療事故もみんな医者の責任で、法律で縛ることで何でも可能になると思っているらしい。

■ 検死と事故調査とのちがい

 この死因究明制度は、検死医療事故死の原因調査を混同している。検死は死体に犯罪性があるかどうかを調べるもので、犯罪の疑いがあれば警察に通報することが役割である。 

 事故調の届け出義務も、疑いの段階での報告だから同じようだが検死とは違う側面がある。検死の現場には犯人はいないが、医療事故では医療者は現場にいて特定されている。はっきりした過失死は別にして、疑いの段階での報告には自然死も含まれる。

 自然死まで警察に通報すれば、名誉毀損になるだろう。通報しなければ義務違反で懲役か罰金刑を受け、通報すれば同じ戦場で働く同志から名誉毀損の訴えを受ける。こんなことが法律として許されるのかどうか疑問が残る。

■ 殺人と医療事故死のちがい

 相撲部屋で行われるしごきは、集団暴行であれば、明確に人体を傷つける意図がある。医療では同じように人体を傷つけるが、人命を破滅の危機から救い出すために道具とエネルギーを使い、手術などでは、事前におこり得る可能性を、リスクも含めて本人に説明し、目的が生命の危機回避であることも了解されている。

 また事故が起きたとしても、犯人はその場にいて生じた結果に責任を持とうと救命処置を施し、損傷の回復のために総力を投じている。普通に考えれば混同できるような共通点は無い。命が失われた結果だけで殺人事件の罪人になるのは納得がいかない。

■ 医療者が行う故意の殺人は実際そんなにあるのか?

 医療行為を介して故意の殺人を行うことは極めて異常なことで、医療者は資格習得を含む今までの努力や生活の全てをなげうって、生きてきた理念を壊してまで殺人に走ることはまずない。

 常識が通じなくなった現代では、何があってもおかしくないが、異常なことは異常としてとらえるべきであり、ありもしないことを想定して懲罰的な社会の仕組みを整備すれば、残さなければならない必要なシステムまで壊れてしまう。

 湾岸戦争のときにクウェートに侵略したイラクの負傷兵に対して、看護師が塩化カリウムの注射をして殺したというテレビインタヴューを見た事を思い出す。これは戦時であるとはいえ立派な殺人であり、生命の危機にある人間を意図的に損なうという医の立場から見ても人間としてみても許されない行為である。

 どんな状況であっても、医療の場合、この一線を越えれば、塩化カリウムを含む点滴行為全てに故意の犯罪監視の目を向けなければならず、また看護師の行う全ての行為に監視を着けなければならなくなる。ありもしない現実をさも当たり前のことのように曲解し、きれいごとの議論を展開することが重大な結果をもたらすことを知ってほしい。

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