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人間的な良い医療を目指して
永井友二郎(実地医家のための会創立者)

2009/04/20

※本記事は、第31回日本プライマリ・ケア学会学術会議の特別講演1で述べた内容全文の転載です。学会の記録として、特別講演の司会者を務めた平野寛氏が同じ内容を機関紙『プライマリケア』の2008年 Vol.31 No.4に要旨として4ページでまとめています。

●はじめに

 本学会は創立31周年にあたります。これは明治政府が西欧の近代医学を取り入れてほぼ140年ということから考えると、われわれのプライマリ・ケア活動もその三分の一になった、かなりの歴史を積み上げてきたわけであります。

 そこで、現在のわが国の医療の状態をみると、われわれは今、医療危機、医療崩壊の中にいながら、まだ本質をついた議論がないと思います。私はこの問題の本質は、大学や病院が抱える矛盾だけでなく、われわれのプライマリ・ケア、そして医療行政、さらに医療全体のひずみにあると思っています。

 はじめに、医療とはどういうことか、私はこれはひとりひとり全く違った育ち方をし、生活をしている病人に対して、一度きりの、やり直しのきかない、命がけの侵襲を与えることと考えています。

 そしてわれわれがよりどころとしている現代医学は、たいへん高いレベルに進歩しているといわれ、その事実もたしかにありますが、同時に、有名な川喜田愛郎教授が述べられているように、 「医学は今日、完成したものでなく、開発途中にあり、どぎつい表現をすれば、医者はいつも病人に欠陥商品を売りつづけている。しかも、医者はこのことをやめるわけにゆかず、それを売り続ける義務さえある」これが現実であります。

 私は医療とは、本来こうした本質を持つものである、そして常に予期せぬ医療事故の起こる危険をはらんでいるという認識がまず必要だと思います。それで、私たちは日頃、多く先端医学を追うことに努めていますが、この先端医学のみでは病人の期待する不安解消にはなりえない、このことを深く認識する必要があると思います。

 このために、われわれは進歩した先端医学を支える病人中心の幅広い英知、医療学が必要であります。本日は「人間的な良い医療」を目指して、この欠陥商品である医学を補い、支えるもろもろのものについてお話したいと思います。

●医療の本質

 私は医者でない家に生まれ育ちましたので、医学のことも、医者の世界のことも全く知らず、すべて珍しく、興味深く感じながら今日にいたりました。私が大学病院にいた時代、そして病院勤務をしていた時代、それは昭和20年から32年まででしたが、先輩の医師たちは開業医は不勉強な医者だから、開業だけはするな、といっていました。それで私は終生、病院勤務をするつもりでいたところ、ある日、先輩の外科医長から「永井君の診察は病人の話しを聞きすぎたり、無駄な話をしているという。学問的な医師はそんなことはしないものだ」と非難されました。

 私は指導していただいた内科の教授が人間的に幅の広い方で、内科医は病人の人間、生活をよくみるべきだと教えてくださっていたので、できるだけ病人の悩みや暮らしなどを、聞きながら診療していました。それを先輩医師から非難されたので、この病院にいるよりは自分の城を持ったほうがいいと考え、開業にふみきりました。

 私は開業してみて、これまでの大学病院、公立病院にいたときと全く違う医療があることに驚きました。開業医のところにはいろいろな病人がきて、病気の種類が多く、重い病気も軽い病気も、たった今起こったばかりの本当の初期の病人もあり、私は初めて病気の全体像を見た思いがしました。また、患者さんは親しくなると、いろいろささいな相談ごとを持ちこんできます。

 私はこうして、大学や大病院では扱うことがない医療の世界、新しい世界を発見して驚きました。そして、開業医の方が大学や病院の医師よりも本当の医療、医療の全体像を見ているという思いを強くしました。それで、私は毎日の診療の中で、開業医の医療の特徴は何かを考え、調べ、私の手の内集として「内科臨床メモ」という本を中外医学社から出版しました。

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