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新型インフルエンザ騒動の舞台裏
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2009/06/10

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)6月3日発行の記事(第32回 新型インフルエンザ騒動の舞台裏)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

 我が国をパニックに陥れた新型インフルエンザ騒動も、ここに来て落ち着きを見せ始めています。5月28日には神戸市の矢田立郎市長が「安心宣言」を出し、30日には騒動の発端となった兵庫県立神戸高校、兵庫高校で授業が再開されました。また、主要五大新聞に掲載された記事数(地方版も含む)は、5月17日の週の7872件から、24日の週には3533件と半減しています。

 一方、5月28日には参議院予算委員会で新型インフルエンザの集中審議が行われ、政府の対応が批判されました。これまで議論されていない多くの問題があるようです。今後、様々なところで新型インフルエンザ騒動が総括されていく必要があるでしょう。

【通知を濫発した厚労省】

 4月28日、WHOは、新型インフルエンザの継続的な人から人への感染がみられる状態になったとして、パンデミック警報レベルをフェーズ4に引き上げました。それ以降、厚労省は、かねてより作成していた「行動計画」と「ガイドライン」に従い、成田空港等で大規模な検疫を開始するとともに、都道府県や医療現場に、多くの通知や事務連絡を驚異的なスピードで出し続けました。その一部は厚労省のHPで公開されています。

 その中には、症例定義(PCR実施基準)、外来の取り扱い、入退院基準、確定診断など、事細かな内容が含まれており、厚労省が医療現場の箸の上げ下ろしまで指示しているが分かります。

 このような行政指導を通じ、厚労省は司令塔としての役目を果たそうとした訳ですが、その指示は現場の実態と乖離していたため、医療現場は大混乱に陥りました。知人の開業医は、「新型インフルエンザ自体より、厚労省の対応に振り回され、医療スタッフは疲弊してしまった」と語っています。

 特に、PCRに関する通知は医療現場に甚大な影響を与えました。この通知により、PCRを受ける患者は、メキシコ・北米への渡航歴があり、簡易診断キットでA型陽性となった人に限定されたため、多くの患者が適切に診断されず、国内での蔓延を発見するのが遅れてしまったのです。

 現に、5月8日に国内で最初に診断されたのは、厚労省のルールに従わず、渡航歴がないのにPCRを受けた患者ですし、国立感染症研究所は、4月下旬には国内に新型インフルエンザが進入していた可能性が高いと報告しています。医療現場でPCRを行う第一義は、厚労省が公衆衛生データを取るためではなく、患者の治療なのです。この点に関し、厚労省と医療現場には大きな乖離があったように思います。

 また、「行動計画」に従って、全国の病院に約800カ所の「発熱外来」が急遽作られました。そして、厚労省は「新型インフルエンザの患者は発熱外来へ、それ以外の患者は一般医療機関へ」と指示しました。しかしながら、これは机上の空論です。なぜなら、全ての患者は新型インフルエンザか否か分からない状態で病院を訪れるからです。つまり、全国すべての医療機関が、新型インフルエンザかもしれない患者が来ることを想定した準備をしなければならないのです。

 ところが厚労省は、発熱外来以外の一般医療機関には、その準備のための物資・予算を渡しませんでした。これでは、「発熱外来」など名前だけで実態の伴わないものになってしまいます。この姿勢は、食糧も物資も補給しないが戦闘命令だけは出す、旧日本陸軍の参謀本部を彷彿とさせます。参謀本部は、ロジスティックを軽視して、多数の兵士を無駄死にさせました。余談ですが、「発熱外来」は諸外国にはありません。

 本来、医療とは、患者と医師が十分に相談し、状況に応じて柔軟に対応すべきものです。第三者である厚労省が、行政指導を通じて介入すべきではありません。そんなことをすれば、治療が手遅れになったり、過剰になったりして、患者・医師は大きな負担を強いられます。まさに、前述の開業医のコメントの通りです。

 ちなみに、日本感染症学会は5/21に「一般医療機関における対応は(厚労省ガイドラインとは)当然異なって然るべき」と緊急提言しています。厚労省の行政指導を見るに見かねたのでしょう。

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