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ドラッグラグは本当になくなるのか?
辻香織(慶応大グローバルセキュリティ研究所)

2009/08/31

 「ドラッグラグ」という言葉がメディアに登場したのは5、6年前のことだろうか。この用語は、1973年、米国における新医薬品の上市がヨーロッパに比べて遅いことを指摘した論文の中ではじめて用いられた。これ以降、ある地域では販売されている医薬品が他の地域では使用できない、あるいは使用できるまでに時間がかかるという“drug lag”に関する議論は世界的に活発化した。

 日本において調査結果が報告されるようになったのは2005年以降のことである。製薬協政策研は、2004年の世界売上げ上位88製品を対象とした調査を行い、日本で上市されているものは60製品(68.2%)であることを報告した。また、世界初上市から日本での上市までの平均期間(上市ラグ)を算出し、日本の上市ラグは約4年、最も短い米国と英国(約1.5年)に比べ約2.5年遅れていると指摘した。

 さらに、日本で創製された抗癌剤オキサリプラチンが欧米から10年以上遅れて承認されたことなどがメディアで大きく取り上げられ、ドラッグラグはさらに国民の興味を引くテーマとなった。

 このような社会的関心の高まりを受け、厚生労働省は、2005年から「未承認薬使用問題検討会議」、「有効で安全な医薬品等を迅速に提供するための検討会」などの一連の検討会を開催し、ドラッグラグ解決策を打ち出した。それは、従来の治験促進に加え、2009年までにPMDAの審査官236人を増員することにより審査を迅速化し、2011年までに上市ラグを2.5年短縮して米英並みにするというものである。

 このドラッグラグ解決策ははたして妥当であろうか。実効性はあるのだろうか。「上市ラグ2.5年短縮」という数値目標の基となった売上げ上位88製品のデータは全体像を表していない。売上げ上位にある薬剤群は、高血圧治療薬、高脂血症治療薬、抗うつ剤などであり、製薬企業が積極的に開発・マーケティングを行うことから、同じ作用機序を有する数種類の薬剤が売上げ上位に名を連ねている。

 一方、ドラッグラグが臨床的に問題となる治療領域は、標準的治療法が確立されていない重篤稀少疾患、治験実施が困難な小児科領域である可能性が高い。政策研のデータは議論の契機となったという意味で有意義ではあったが、ドラッグラグの本質的な問題を理解し、適切な解決策を見出すためには、全体像を把握し、要因について分析を行う必要がある。

 筆者は、1999年から2007年に米国、EU、日本のいずれかで承認された新医薬品398薬剤を網羅的に対象とした分析を行った(1)。以下に結果を抜粋しながら、ドラッグラグの現状と要因、現行施策の実効性について考えてみたい。

1.世界の新医薬品の約半数が日本では未承認。そのうち半数以上は開発未着手

 対象398薬剤のうち日本で承認されているものは220薬剤(55.3%)であり、未承認薬のうち半数以上(101/178薬剤)については、2007年末時点で日本での開発が行われていない。承認されている薬剤について世界初承認から日本での承認までの承認ラグを算出すると、ラグは広い範囲に分布しており、中央値は約3.5年、全体の25%の薬剤で承認ラグは6年以上に及んでいた。

 臨床的重要度が高い薬剤群に着目するため、既存治療に比べて明らかに高い有用性を有するとして審査上の優遇措置を受けた146薬剤(Fast Track指定、Priority Review、優先審査)を抽出して分析すると、日本での承認は72薬剤(49.3%)と半数を下回った。売上げ上位に名を連ねる薬剤の大半は重要度が高い薬剤群には含まれていない。重要度が高いにもかかわらず日本で開発が行われていないものは、稀少癌や先天性代謝異常症治療薬であり、日本におけるニーズも認識されている。ドラッグラグの議論はこれらの薬剤群に着目して行われるべきである。

2.日本におけるドラッグラグは「海外オリジンの薬剤の承認の遅れ」

 対象398薬剤の約9割は欧米で創製された薬剤である。日本オリジンの薬剤は55薬剤のみであったが、これらの大半は日本で最初に開発され、日本で世界初承認となっている。「日本企業が海外での開発を優先させるからドラッグラグが起きている」という批判がしばしば聞かれるが、実際は逆である。海外開発が先行している薬剤もわずかにあるが、海外で先に治験を始めるということと日本の承認が遅れることとは必ずしもイコールではない。ごく一部の薬剤を取り上げて日本企業の行動に帰するのは妥当ではないだろう。日本におけるドラッグラグは海外オリジンの薬剤の承認の遅れと同義である。

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