日経メディカルのロゴ画像

輸入とその使用の切り分けを―ワクチンの輸入をめぐる混乱
森兼啓太(東北大学大学院医学系研究科感染制御・検査診断学分野)

2009/09/01

新型インフルエンザA(H1N1)の本格的流行が目の前に迫っている。全国5000か所のインフルエンザ定点から得られるサーベイランスデータによれば、第32週(8月3日~9日)には全国で約6万人、第33週(8月10日~17日)には約11万人、第34週(8月18日~24日)には約15万人の患者が発生している(1定点あたりの患者数はそれぞれ0.99、1.69、2.47)。なかでも沖縄ではすでに季節性インフルエンザによる冬季の流行ピーク時の患者発生数に匹敵する規模の流行となっており(第34週の1定点あたりの患者数が46)、多くの医療施設に患者が訪れている。

 厚労省のウェブサイトによれば、新型インフルエンザA(H1N1)の流行段階は「第二段階(国内発生早期)」とされているが、すでに累積で30万人以上の患者が国内で発生していると思われる状況は、「第三段階」のまん延期に相当する。

 このような状況のもとで、感染拡大を少しでも低減・遅延させる有効な新型インフルエンザ対策は何だろうか?個人レベルでは、個人が普段以上に衛生概念に留意し、手指衛生を行い、自分自身が発熱・咳などインフルエンザ様症状を呈している際に人の前へ出ないこと、どうしても出なければならない時はマスクを着用する、などがあげられよう。一方、国の役割としてこの時期に求められていることは、新型インフルエンザワクチンの準備と供給・接種体制の整備である。

 新型インフルエンザA(H1N1)を発症した患者においては、現在のところ抗インフルエンザウイルス薬が比較的効果を示している。しかし、かからないで済むにこしたことはない。特に、6歳以下の小児や妊婦、基礎疾患を有する者などにおいては、重症化する事例もみられ、世界だけでなく日本でも死亡例が報告されるに至っている。さらにインフルエンザワクチンは、感染者を減らすことにより感染拡大の遅延をもたらす効果も期待できる。その意味で、ワクチンに寄せられる期待は大きい。

 さて、季節性インフルエンザワクチンでは、日本でもその効果が科学的に検証され、特に高齢者においては発症阻止効果が30~50%、死亡阻止効果が80%以上と推定されている(神谷斉ら、厚労科学研究報告書)。また、副反応については非常に低率とされ、ワクチンとの関連が否定できないとして救済対象となった死亡事象は2,500万接種あたり1件程度と、ワクチンによる重篤な副反応は事実上無視できる水準と言える。

 では、新型インフルエンザA(H1N1)ワクチンにおいてこの結果を適用できるだろうか?まず、副反応に関しては、季節性インフルエンザと同じ企業が同じ製造方法で同じ亜型のウイルス(季節性インフルのH1N1と新型インフルのH1N1は同じ亜型)を用いて製造すると仮定した場合、その安全性には比較的高い信頼を置いてよいであろう。

 従って、国産ワクチンの安全性は基本的に問題がないと見てよいだろう。しかし、国産ワクチンの予想される生産量は、年内で1300万~1700万本程度である。国民全員分のワクチンを用意する国すらある中で、この量では人口の10%程度であり、全く足りない。

 そこでワクチンを輸入しようという話になる。しかし、欧米諸国の中には、新型インフルエンザが発生するずっと前から、新型インフルエンザが発生したら自分の国に優先的に供給するようあらかじめワクチン製造企業と契約を結んでいるところもあった。日本はそうしておらず、完全に出遅れた。

 それに加えて、ワクチンを接種する対象やその優先順位に関する議論が国レベルで全く行われてこなかった。少人数を対象とした治験は行われるだろうが、有効性と安全性の両面で科学的データに乏しいワクチンをいかに使用していくかに関する議論を尽くした上で、接種施策を決定すべきである。新型インフルエンザが発生してから、輸入交渉の出遅れとワクチンに関する意見交換の場が持たれないことに、筆者は大きな不安を抱いていた。

 7月30日に厚労省で行われた新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会に筆者は出席した。この場では、一通り接種優先順位に関する意見が出されたのち、医薬局血液対策課からワクチンに関する説明があった(新型インフルも含め、感染症一般の対策は健康局結核感染症課の担当)。その場で初めて、輸入の交渉がすでに行われていることを知った。厚労省の担当者は、メーカー名も本数も明かすことはできないとしながらも、メーカーが先進国枠で確保している中から日本にもある数量の販売が可能であるとの打診を受け、交渉を続けていると述べた。

 日本は出遅れたにせよまだ交渉できるだけのワクチンはあるのだな、と感心する一方で、このようなことはどこにも公表されていないことに疑問を感じた。交渉内容の詳細まで明らかにする必要はないが、現在交渉中であることぐらいは公表してもよかったのではないだろうか。

 この時点で、輸入ワクチンに関する問題点が二つあった。一つは、全世界的にワクチンの量が限られる中で、日本が率先して輸入してよいのか?発展途上国の配分を奪うことにならないか、という点である。この点については、厚労省の担当者は「現在交渉している分量は先進国分としてメーカーが割り当てているものであり、もし日本が買わなかったら他の先進国に行くことになる」と答え、出席者一同納得していた。

 もう一つは、メーカーが副反応などに関する免責を求めてきている点であった。ワクチンのように、ある程度の副反応を覚悟の上でそれでも公衆衛生的ないしは個人防護の観点からメリットがあると判断されるもの、しかも新型インフルエンザワクチンは十分な臨床試験も出来ずなかば緊急接種的に使用されるものは、メーカーにその使用に関連する副反応などの責任を負わせるべきでなく、もしそうであればメーカーもワクチンを作らないだろう。もちろん、副反応に見舞われた不幸な人には補償をすべきであり、その意味で免責と無過失補償をセットで用意して輸入交渉に臨むことは最低限の必須条件だと考える。

 ところが、この席上で、輸入ワクチンに関しても免責制度にはできないと血液対策課は考えているようであり、その点で交渉が難航しているとのこと。難航するのは当たり前の話であり、そもそも交渉にならないのではないか。

この記事を読んでいる人におすすめ