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家庭医は現場で完成する!

2009/10/06
佐野 潔

 私は現在50代後半、医師になって既に30年以上が経ちました。そのうち日本で過ごしたのは卒後5年間だけで、米国で研修医(3年)・開業医(15年)・大学教員(7年)と過ごし、最近の3年間はフランスのパリで開業医をしています。この連載では、家庭医療専門医としてずっと医療現場に従事してきた私の経験と立場から、日米仏の医療について書いてみたいと思います。

 第1回目では、私のバックグランドを知っていただくために、私自身が歩んで来た日米仏にまたがる“家庭医の旅”を紹介したいと思います。

家庭医療との出会い、そして渡米
 まず私の家庭医療との出会いは、学生時代に偶然、ロサンゼルスの個人開業家庭医に師事した1970年代半ばにさかのぼります。日本では、まだ家庭医療という言葉も知られていなかったころです。そのときに家庭医療への夢を抱いて以来、幸運にも、ずっとその道を歩んで来ることができました。

 私の父は、町の内科小児科の一般開業医で、私は幼い時から父の背中を見ながら開業医の生活というものを実感して育ちました。「自分も、将来は医者になって、近所のおじさんやおばさん、いたずらっ子や赤ちゃんが来る病院で、ときには角のパン屋のおばさんの人生相談に乗るなどして医者をするのだろう」と自然に思い描いていました。受験には苦労しましたが、一浪してどうにか医学部に入りました。

 ところが、そのころの日本の医学教育は、私が思っていたような医者を育てることは全く眼中になく、教師は、むしろ現場の開業医をバカにするような言い方さえする、狭い領域しか知らない“オタク専門医”や“テクノ専門医”たちでした。最先端の高度医療機器を駆使して医療を行うことがベストの医療であるがのごとく、自慢気に臨床教育をする彼らの姿を見たとき、私は「これは何かがずれている」と思いました。

 そして、臨床実習に出る前にアメリカで家庭医療の現場を見て、日本の医療現場・医学教育はアメリカとは随分違うことを実感しました。さらに医学教育雑誌を読むと、アメリカの医学教育は、プライマリケアの現場に学生を早期から出し、学生は問診の仕方から診察所見の取り方、そしてPOS(problem-oriented system:問題志向型システム)に則った患者アプローチまで学習できるようになっていることを知りました。そこで私は、日本にいても、自分の臨床実習ではアメリカ型の医学教育を意識して自分なりに努力しようと心に誓ったのです。

著者プロフィール

佐野 潔

パリ・アメリカン病院

1978年大学卒業後、横須賀米海軍病院、大阪八尾徳洲会病院を経て、83年に渡米。ミネソタ大学医学部地域家庭医療科にてレジデンシーを修了後、ミネソタの農村で15年間、開業医として家庭医療を提供。その後99年よりミシガン大学にファカルティーとして移り、日本人診療、学生・研修医の教育に従事する。2006年よりパリのアメリカン病院にて再び開業医として日本人・米国人を対象に家庭医療を提供している。

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