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医師という名の自営業者
フリー医として日本縦断
整形外科医・上原尚人(仮名)さんの場合

2009/10/29
荻島央江=フリーライター

上原尚人(仮名)さん
1992年に地方の国立大学を卒業後、出身大学外の医局へ入局。6年間在籍し、いくつかの関連病院に勤務した後、基礎研究をするため大学院へ。このとき医局人事から外れる。4年間大学院で学び、それ以降は複数の医療機関で非常勤医として働く。現在は自宅のある関西のほか、月に数回ほど、北海道、四国の病院で診療している。40代、妻と二女の4人暮らし

――医局を離れることになった経緯を教えてください。

 私が大学卒業後に入った医局は自由闊達な雰囲気があり、とても居心地の良い環境でした。私は他大学の出身でしたが、何ら区別されたり冷遇されたりすることはなかったですし、自由に発言ができました。これは当時、医局を束ねていた教授の人間性や考え方によるところが大きかったと思います。

 ところが、医局に入って3年くらい経ったころ、教授が替わり、医局内の雰囲気ががらりと変わってしまいました。新しい教授は独裁的な人で、言いたいことが言えなくなってしまった。教授に気に入られないと、やりたい仕事も勉強もできない。にもかかわらず、僕は以前と同じように、おかしいと思うことには「おかしい」とはっきり言っていたので、教授にはかなり煙たい存在だったと思います。事実、けんかもよくしました。

 ちょうどそのころ専門医資格の取得にメドがついたこともあって、僕は医局を離れる決心をし、教授には他大学の大学院で基礎研究をすることにした旨、手紙に書いて送りました。人生は短いし、誰かにへつらって生きるのは嫌だったんです。まあ、僕も若かったんですね(笑)。そうして医局人事から外れたんですが、なぜか除籍にはならなかったんですよ。なので、何人かの先生とは今でもお付き合いが続いています。

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