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医者として成功する法則

2009/11/04
市瀬 史

マルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwell)という米国の社会心理学者・作家が書いた『Outliers :The Story of Success』という本がアメリカでベストセラーになっています。邦訳版の『天才! 成功する人々の法則』(勝間和代訳、講談社)も最近出版されたようですから、お読みになった方もいらっしゃると思います。

 同書でいうアウトライヤーとは、統計的に一般人や一般の現象から遠くかけ離れた(成果を残した)人や現象を指します。スポーツ選手やIT企業経営者や弁護士として、ずば抜けて成功した人たちの事例に共通する背景とは何か、IQが非常に高いいわゆる“天才”が必ずしも成功しない理由とは、また短期間に飛行機墜落事故を多発させた航空会社に共通する“文化的背景”とは――などなど、極めて興味深い内容かつ非常に読みやすい作品です。

 “天才の作り方”をテーマにした本が最近よく売れているようですが、本書はある意味でそのアンチテーゼのような内容になっています。いわく、大成功する人たちは、ある特定の時代的・状況的・文化的背景を持っている。つまり、そういう所与のバックグラウンドを抜きにしたところで、大成功する天才を「作る」ことは難しい、というのです。その“成功する法則性”の根拠が、あまり科学的ではない手法によって導き出されている点などが批判されてはいますが、この種の一般向けの読み物としては十分な説得力を持っていると思います。おすすめの一冊です。

 さて、グラッドウェルは、この本の中で医者のことには触れていませんが、医者の世界にもアウトライヤーと呼べる人たちはもちろんいます。臨床医として人並み外れた仕事をして医療を変革する人もいれば、研究者として後世に名を残す人もいます。アウトライヤーにまでは達しなくても、医者としてのキャリアを積んでいくにあたって、私たちは誰しも成功したいという願いを持って日々仕事に励んでいると思います。人によって成功の尺度も最終目的地も違いますが、失敗したいと思ってキャリアパスを選ぶ人はいません。

 医者になることの本来の目的は、多くの人の苦しみを和らげ、命を助けることです。言うまでもなく、この目的を達成するには、いくつもの違った方法があります。臨床医となって患者を救うことが最も直接的で分かりやすいやり方です。大学の教員になって次世代の医者を育てることも、間接的ではありますが重要で不可欠な仕事です。研究に打ち込んで大発見をすることで、医療を変革していくことを目的とする人もいます。これは成功する確率は低いですが、成功すれば目の前の患者だけに限らず、現在そして未来の多数の患者の救済につながる可能性があります。目的が何であれ、どうすればそれを達成することができるでしょうか。医者としての成功に法則性はあるでしょうか。

ビル・ゲイツとビートルズの共通点
 グラッドウェルは『Outliers :The Story of Success』の中で、どんな分野でも大成功するには1万時間の“密度の濃い”練習時間を持つことが必要最低条件だと説いています。この例として音楽家やアイスホッケー選手が挙げられていますが、1日3時間、年間330日を練習に当てても10年前後、1日6時間の練習でも5年かかることになります。このあたりは、楽器やスポーツをやったことのある人には感覚的に分かりやすいところだと思います。ここで大事なのは、1万時間の練習時間は必要条件であっても、大成功の十分条件ではないという点です。1万時間の血のにじむような練習を大成功に結び付けるには、できるだけ若い時期に、しかも人に先んじて優れた練習環境に身を置くことが重要だとグラッドウェルは主張します。

著者プロフィール

市瀬 史

ハーバード大学医学部教授
/マサチューセッツ総合病院麻酔集中治療科・麻酔医

1988年、東京大学医学部卒業。1990年マサチューセッツ総合病院麻酔科レジデント、同フェロー。1995年、帰国して帝京大学医学部附属市原病院麻酔科講師。1998年に再渡米してハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院麻酔科アシスタント・プロフェッサーを経て、2014年1月より現職。専門分野は心臓麻酔、心筋細胞の生理学、一酸化窒素や硫化水素による細胞保護、敗血症と心肺蘇生の分子生物学、人工冬眠の研究。趣味はスキー・テニス・ゴルフ・読書・映画鑑賞。レオナルド・ディカプリオと「The Departed」で共演しました(エキストラですが)。

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