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再生なるか、国立がんセンター
石岡荘十(ジャーナリスト)

2010/03/18

 独立行政法人への移行を3週間後に控えた国立がんセンター土屋了介中央病院長は、3/9に開かれた勉強会で「がんの明日の治療を提言する知恵袋を目指す」とその抱負をこう語った。

 「これまでのがんセンターは何のためにあるのか世に問うてこなかったところもある。これからは(独立法人化するのを機会に)新しいがん治療政策を国に提言する知恵袋の役割を果たしたい。新しい治療法を世に問えば税をつぎ込んでも国民は認めてくれると思う。国民みんなで考え、政策を立案し提言していきたい」

 うっかり見過ごしそうだが、「これまでのがんセンターは・・・」には説明が必要である。

 わが国のがんの治療・研究の『総本山』である国立がんセンターが発足したのは1962年、ざっと半世紀前のことだが、この間、厚労省医系技官のおいしい天下り先であり、膨大な国からの補助金を餌に病院を食い荒らしている事実が最近になって明らかとなり、政治問題化している。

 具体的な問題のひとつはカネ。

 独法化にあたり、600億円の債務を引き継ぐべきかどうかで議論が起きた。この借金の大部分は1997年、いま東京・築地に威容を誇る中央病院の建替えに際して、特別会計からの借り入れたものだ。利息は4~5%と高く、年間の診療報酬収入が250億円の医療機関が、毎年30億円の利息を払うことになっている。

 しかもこの建替えは常識では考えられないほど割高だった。病院建設の場合、業界の相場では1床当り3千万円くらいだといわれるが、がんセンターでは7~8千万円もかかっている。民間病院なら400億円ほどで済んだはずだというのに、だ。まるでどこかで聞いた『ぼったくりバー』に出会ったような(土屋院長)お値段だった。この差額はどこへ流れたのか。

 つぎは人事権や予算権の問題である。がんセンター運営の実権を握っているのは、医師である最高責任者の総長や病院長ではなく、厚労省から出向している官僚たちである。特に、普通の病院の事務長に相当する運営局長は歴代、厚労省医系技官の指定ポストである。

 医系技官も医師免許を持っているという意味では医師なのだが、現・運営局長の経歴を見ると、1958年千葉大学医学部卒業後、厚労省に入省。運営局長就任まで本格的に患者を直接診た経験は認められない。研究者としての実績も無い。運営局長に就任する前のポストは本省の一課長に過ぎなかった。組織上格下にある運営局長が一手に握っている。総長や病院長には部長以上の幹部異動の人事権は無い。つまり、カネもヒトも事実上、厚労省の思うが侭という状況が永年黙認されてきたのである。

 患者の治療だけでなく、新しい療法の開発・普及も国立がんセンターに期待されている重要な使命であるが、どの研究にいくら配分するか、がん研究の方向性についてまで口を出す。(多分)注射1本打つ技量も無い医系技官が国の医療・研究制度を差配している構図がここにある。これが土屋院長の言う「これまでのがんセンター」だったのだ。

 そこで、行政改革の第1弾として俎上に載ったのががんセンターの改革だった。

 まず、新体制では初代理事長に医療改革推進に実績のある嘉山孝正・山形大学医学部長が選ばれた。嘉山氏と土屋院長は舛添要一・前厚労相時代に政府の委員会で、共に大臣のアドバイザー的な役割を務めた仲で、土屋院長は「かなり進取の気性があり、(中略)大変ふさわしい方だと思います」(関連記事:日経メディカル オンライン「初代理事長決定!がんセンターはどう変わるか」)と歓迎している。

 この2人がタッグを組めば、人事権の問題は何とかなりそうだが、例の600億円の借金はどうするのか。

 土屋病院長は3/9の勉強会でこう打ち明けた。「前政権のとき与謝野財務大臣に陳情した。与謝野さんはここ(がんセンター)の患者さんでしたから。で、半分にということで補正予算に入れてもらったら政権交代になってしまった。そこで、今度はやはりここで手術したことで医療問題に深い関心を持つようになられた仙谷由人行政刷新担当大臣にお願いしたら、170億円に(減額)してくれた」。

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