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どこに医学部を作るべきか?―戊辰戦争と医師偏在の関係を考える―
上昌広(東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門准教授)

2010/03/11

かみ まさひろ氏○1993年東大医学部卒業。99年東大大学院医学系研究科修了。虎の門病院、国立がんセンター中央病院を経て2005年10月より現職。

※今回の記事は村上龍氏が編集長を務めるJMM (Japan Mail Media)2月24日発行の記事(「現場からの医療改革レポート 第50回『どこに医学部を作るべきか? 戊辰戦争と医師偏在の関係を考える』」)をMRIC用に改訂し転載させていただきました。

医学部新設、3私立大が準備
 2月21日、朝日新聞は「医学部新設、3私立大が準備」というスクープ記事を発表しました。設置を検討しているのは、国際医療福祉大(本校・栃木県大田原市)、北海道医療大(北海道当別町)、聖隷クリストファー大(浜松市)の3つの大学です。設置認可を国に申請する手続きのために、学内に検討組織を立ち上げたと言われています。

 2008年に舛添前厚労大臣が医学部定員を50%増員すると提言し、2009年の総選挙では、民主党も同様の主張をマニフェストに盛り込みました。2008-9年にかけて、既存医学部の定員が増員されましたが、今回の報道は、医師増員対策が次のステップに移ったことを示しています。

鈴木寛文科副大臣発言
 この議論のきっかけは、鈴木寛文科副大臣の発言です。昨年12月11日に都内で開かれたシンポジウムで、1980年以降増えていない大学医学部を「新設するかどうか、来年から議論を深めていく場を設けることが決まっている」と、医学部新設を視野に入れていることを明らかにしました。さらに、「医学部の新設について来年から議論を深めていこうということで、議論の場を設定することは決まっている。その結果がどうなるかはまだ分からないが」とも述べました。

 予算作成のタイムスケジュールから逆算すると、今春くらいには文科省に検討会が立ち上がり、議論が始まるでしょう。そして、その人選が、設置形態や場所に大きな影響力を持つことは言うまでもありません。

西高東低の医学部 
 医学部新設の目的は、「医師の増員」です。しかしながら、医学部新設は、「医師偏在解消」の最も有効な方法と考えることも可能です。

 現在、我が国には80の医学部があります。各県に最低一つあるという意味では、「平等」な感じがしますが、実態は違います。人口当たりの医学部卒業生数は、圧倒的に西高東低です。

 例えば、九州の人口は1320万人ですが、10の医学部があり、年間約1000人の医師を養成します。四国の人口は401万人で、4つの医学部があります。ちなみに、このレベルは、人口1300万人で11の医学部がある東京と同レベルです。

 一方、千葉・茨城・埼玉県の人口は合計1630万人ですが、医学部は4つしかありません。うち一つは防衛医大のため、地域医療への貢献は限定的です。今の医師養成システムを続ける限り、関東近郊の医師不足は解決することはあり得ません。

戊辰戦争と医学部の関係
 なぜ、このような格差が出来たのでしょうか?二つの理由が考えられます。一つは、第二次世界大戦後、東京近郊で人口が急増したこと、もう一つは戊辰戦争の影響です。

 前者は誰でも想像がつきます。昭和10年の時点での、九州の人口は1230万人。千葉・茨城・埼玉の人口は430万人でした。現在の人口は、それぞれ1320万、1630万人ですから、東京近郊の人口増が如何に急速かおわかりでしょう。東京近郊で、社会資本の整備が人口の増加に追いついていません。

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