最近よく、内田樹さんの著作を読んでいます。おじさん的「街場シリーズ」から「日本辺境論」までそこそこ読んでいます。その内容を医療の現場に照らし合わせて、「なるほど」って思うことも少なくありません。
内田さんは、著作権に関連してこのようなことを書いています。「『書いた本を全部断裁する代わりに1億円払うというオプションと、その本を全国の図書館に無料頒布するのとどちらがいい?』と問われたら、私は迷わず後者を選ぶ。今、一瞬でもためらった人は物書きには向いていないと私は思う。ということを前に書いたら、怒り心頭に発した人がいて、かなり罵倒された」。なんでも、「筆一本で生きている売文業者の気持ちが、おまえのような安楽な身分の大学教師にわかってたまるか」という趣旨だったらしいです。
内田さんは、ネット上で公開した情報は誰でも利用できる公共財という考えから、ネット上に掲載したテキストについては著作権を放棄しています。ネット上の情報を誰でも自由に利用できるということがネットコミュニケーションの最大のメリットなのだから、そこに「私権」を持ち込むのはつまらないという考えに加え、「1人でも多くの読者に書いたことを読んでほしい」と思ってきたからだそうです。となると、先の発言とそれに対する批判は、大学教授であるか専業作家であるかという「立場の違い」ではなくて、「マインドの違い」なのかもしれません。
ただし、内田さんは決して、著作権自体を否定しているわけではなく、「クリエイターを保護し、その創作活動を支援する限りにおいて」は認めています。しかし、著作権者の相当数は、「それで食っている」専門家ではなく、著作権を譲り受けた人なんだそうです。
また、「私たちは“無償のテキスト”を読むところから長い読者人生をスタートし、多くの無償のテキストに触れる中で、“有償のテキスト”を蔵書として私有する読者に育っていく」というのが内田さんの持論。ですので、著作権を強化し無償のテキストへのアクセスを難しくすることが、文芸家の保護につながるのか疑問に思っているようです。
前置きがちょっと長くなりましたが、内田さんを罵倒した文筆家のように「部外者は引っ込んでろ」的な物言いをする人は、医療関係者にも多いような気がします。医療は専門性の高い世界ですから、特にこういう言葉を使いやすいのです。例えば、ボクでもこうやって文章は書けますが、医療行為は医師にしか許されていません。そうした特殊な環境の中で、無意識なうちに医療従事者が夜郎自大になってしまい、医療と社会とのミスコミュニケーションが広がってきた面があることは否定できないと思います。
とはいえ、部外者の目を気にし過ぎると、プロとしてはどうなのかな?とも感じます。自分の仕事に対しては、外からの目に必要以上に惑わされず、ただ目の前のことだけに集中できるようになりたいと心から思います。自分が信用する“物差し”でしっかりと仕事をしてこそ、プロフェションという名に値します。
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連載の紹介
昭和大元教授「手取屋岳夫の独り言」
「最近の日本の医療って、ちょっとおかしくない?」…と愚痴は出るものの、医師という仕事はやっぱり素晴らしい!一外科医として、大学教授として、教育者として感じた喜び・憤り・疑問などを、時に熱く、時には軽〜く、語ります。
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