師走に入り、ぐんと冷え込んできました。ここ秋田にも冬将軍が到来し、木枯らしが容赦なく吹きつけ、雪がちらつくようになりました。
先日、寒い中、娘を連れて外出した際に、中年のご婦人に「あれま、唇さ、ぶす色になって!」と声をかけられました。「ぶ、ぶす色?」と思わず聞き返してしまいましたが、なんでも、唇が紫色になったり、皮膚にあざができることを秋田では「ぶす色」と言うのだそうです。こちらに住んで4年になりますが、秋田弁はまだまだ奥が深い…。
そろそろ本題に入りましょう。この初冬のある夜のことです。いつも通り、娘の隣で布団にくるまり、さあ寝ようと目を閉じた時、異変に気付きました。左の腋窩の辺りに、筋肉痛のような鈍い痛みが走ったのです。さらに、左の肩には、冷えた感じと肩こりを普段以上に強く感じました。これは、やばいな…と気になりながらも、なんとか寝つきました。
悪い予感は的中しました。夜更けの2時頃、ふと目が覚めたときには、左腋窩から左乳房にかけて痛みが広がっていました。そして、左乳房の腫れが次第にひどくなってきました。
授乳婦にとって最悪の状態。そう、これはまさしく、乳腺炎です。以前のブログ(「ただ今、育児休業中!」)の「おっぱいは正直」でも書きましたが、私は、油脂、乳製品、肉、甘いものなど、食事内容が偏ると、乳腺炎を起こしやすいタイプなのです。
それでもなんとか職場に行き、外来の看護師さんに「私、こりずにまた乳腺炎になってしまいました。トホホ」と苦笑いをする余裕はあったのですが、診療が終わった昼過ぎ、緊張が解けたのと同時に、頭がぼーっとして、立っていられなくなりました。そして、悪寒戦慄が始まりました。
仮眠室の毛布の中でガタガタ震えること、2時間。それは、もし勉強熱心な研修医の先生に話したら「血培2セット取りましょう!」と言われるだろうな、と心配になるくらいの、立派なshaking chillでした。
悪寒戦慄が止まった頃には、体はうつ熱状態でポカポカでした。左乳房は2倍以上に膨れ上がり、“orange peel”さながらの発赤とゴリゴリしたしこりで、激痛を覚えました。ふらつく足取りで娘を保育園に迎えに行き、タクシーに乗り込んで家に帰り着いたときは、本当にほっとしました。
なぜ、乳腺炎が起こったのか。今回、改めて考えてみると、3つの要素がありました。
1つ目は、やはり食事です。発症の前々日、私は久しぶりに洋食屋でおしゃれなランチを楽しみました。オリーブオイルたっぷりの魚介のパスタに、チーズのかかった温野菜のグリル。メインの肉料理は主人に片付けてもらったものの、デザートのクリームブリュレとマンゴープリンは、しっかりたいらげてしまいました。さらに、追い打ちをかけるように、その翌日には、外出先でクリームシチューをごちそうになりました。
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著者プロフィール
引地 悠●ひきち はるか氏。2004年宮崎大卒後、洛和会音羽病院(京都市)にて初期研修2年、後期研修1年。07年4月中通総合病院(秋田市)総合内科で後期研修。09年1月に第1子を出産し、10年1月に復職。
連載の紹介
引地悠の「仕事と育児のベストバランスを求めて」
「結婚して子供を産んでも、臨床や研究の第一線から退きたくない」と考えていた引地氏。2009年1月に第1子を出産し、育児休業を1年間取得後、2010年1月に復職しました。新米ママ女医として盛りだくさんの日常をつづります。
この連載のバックナンバー
2013/05/14
2013/05/08
2012/12/25
2012/11/29
2012/11/05