日経メディカルのロゴ画像

医師の自律(その1/2)
小松秀樹(亀田総合病院副院長)

2011/01/26

二つの立場
 最近の10年間、日本の医療は大きな試練に直面した。その中で、医師の自律について議論されるようになった。医療の質・安全戦略会議で、自律について、理念を重視する立場と、現実を重視する立場の意見の違いが明確になり、論争があった。この対立構造は、最近数年間の医療をめぐる様々な論争に共通するものだった。

 第一の立場は、理念としての医師の自律を研究するものである。元臨床医、あるいは、臨床に携わっていても第一線から少し身を引いた立場の医師で、医療倫理学、公衆衛生、医療管理学などに専門を変更した研究者が中心になっていた。

 研究者たちの考え方の中核には、西欧のprofessionの理念があった。理念からの演繹で制度を考えると主張していた。実際には、西欧の制度や文言をそのまま持ち込もうとしているように見えた。しかし、professionの概念が歴史的に形成され、変質し、状況によっては衰退していくという感覚を欠いていた。実際に、西欧でも医師の処分制度は国によって大きく異なる。それぞれの国の歴史が影響していることは間違いない。一説によれば、倫理は、個人や集団の生存確率を最大化する戦略が長期間にわたって燻習されることで形成される[1]。少なくとも、倫理や理念は先験的に存在するものではない。

 議論では、イギリスを中心にヨーロッパの制度が取り上げられることが多かった。イギリスのGeneral Medical CouncilGMC)は、医師の卒前・卒後教育の監視と調整、医師の登録、医師の規範の作成、医師の適性審査と処分を担っている[2]。GMCは、Shipman医師による連続殺人事件を契機の一つとして社会の介入を受け、厳罰化の傾向を強めてきた。

 しかし、Shipman事件は、医療の問題ではなく特異な人格の個人による特殊な犯罪である。GMCの現状を自律の終わりが始まったと表現するイギリスの医師もいる。Lancetによれば、イギリスの医師の士気は「壊滅的瓦解catastrophic collapse」状態にある[3]。GMCの活動が医療提供体制を脅かす要因になっている可能性は否定できない。

 自律を議論する上での第二の立場は、現実問題を起点とするもので、医療現場の第一線の臨床医がこの立場をとった。現実の医療事故や事件への対応を考える中から、医師の自律についても議論されるようになった。西欧の理念も参考にはされたが、日本の現実が思考の出発点になった。どこからも金銭的援助を受けずに、インターネットを主たる通信手段として議論を深めた。当然ながら、厚労省も批判の対象とした。

 研究者たちは、「10年後の医療の質保障のあるべき姿」を提言しようとした。10年後という文言によって日本の歴史や実情を思考の外に置いた。現場の医師の意見を系統的に聞く過程を経ないまま、翻訳を主たる作業として提言の作成を急いだ。私は、この議論を聞いていて、ブレーキのない自動車のような危うさを感じた。

 これに加えて違和感を覚えたのは、自律を議論していたにも関わらず、厚労省から研究費が交付され、自律の議論に不可欠と思われる厚労省による医師に対する制御の在り方が、議論の対象にならなかったことである。

背景に大きな流れがある。2007年前後より、「医療事故調査委員会」が大きな論争になった。厚労省は、関連した実務的問題を検討するために、一連の研究班を立ち上げた。院内事故調査委員会、届出(医療機関から医療安全調査委員会への届出、医療安全調査委員会から捜査機関への届出)判断の標準化、処分を受けた医師の再教育プログラムなどについての研究班である。いずれも、研究というより規則案の作成が求められていた。

 院内事故調査委員会の研究班は意見の対立のために合意に至らなかった[4]。再教育プログラムの研究班では、私も研究費の交付を受けずに協力していたが、驚いたことに厚労省の意向で、突然、中断された。一連の動きをみると、医師の自律の性急な方向付けが、厚労省の周到な意図に沿ったものだった可能性は否定できない。

 以下、最近10年間の動きを経時的にまとめて、それを基礎に医師の自律の問題を議論したい。

この記事を読んでいる人におすすめ