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医師の自律(その2/2)
小松秀樹(亀田総合病院副院長)

2011/01/27

(*「医師の自律(その1/2)」はこちら

厚労省の動き
 2007年4月、医療現場への刑事司法の介入に対応するという名目で、厚労省は、「医療事故調査委員会」の検討会をスタートさせた。厚労省案として、第二次試案、第三次試案、大綱案が次々に発表された。いずれも、網羅的な調査と行政処分の拡充によって医療をコントロールしようとするものであった。

 司法、行政は法による統治システムの一部であり、過去の法令で未来をしばる。問題が生じたとき、過去の規範にあわせて、相手に変われと命ずる。自ら学習しない。しかし、医療は未来に向かって変化し続ける。問題が生じたとき、実情を認識し、自ら学習して知識や技術を拡充させて対応する。別の表現をすれば、法は理念からの演繹を、医療は実情からの帰納を基本構造としている[11]。医学論文における正しさは研究の対象と方法に依存している。仮説的であり、暫定的である。この故に議論や研究が続く。新たな知見が加わり、進歩がある。医学では今日正しいことが、明日正しいとは限らない。法的評価は、医療を過去に固定し、進歩を阻害する。

 他の社会システムでも、同様の問題が生じる。例えば、会計は、企業の活動実態を社会に正確に伝えるという機能を有する。新しい業種が出現すると、その実態を表現するために新しい会計が考えられるようになる。2006年に施行された新会社法431条は、「株式会社の会計は、一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行に従うものとする」と規定している。

 網羅的な調査による評価と行政処分の拡充で医療を制御しようとする厚労省案に対し、日本医師会は現場の医師の声を聞かずに賛成した[12]。多くの医師が、紛争を拡大させ、医療の進歩を止め、結果として医療を壊すことになるとして反対した[13]。以後、日本医師会は、現場の医師の支持を急速に失った。2009年8月の総選挙による政権交代で、厚労省案がそのまま実現する可能性はなくなった。しかし、大野病院事件の判決の後、ボールは医療界にあり、対応を迫られている状況であることは間違いない。

日本医師会と医師の自律
 司法や行政が医療を取り締まると、医療を知らないが故に医療を破壊する。このため、英語圏を中心に、専門分野の制御を、専門職団体の自律に委ねる国が多い。専門職団体の自律は、もともと、ギルドなどの閉鎖集団の利益を守ることが目的だったが、現在では自律に委ねる方が、結果として、公益を向上させるからだとされている。日本の現状で医療側が自らを律することなく、信頼が得られなければ、法で医療を取り締まろうという意見が再び強くなり、医療の安定的な発展が阻害される。

 日本医師会は、日本の医師を代表する公益法人(社団法人)とされてきた。しかし、医師の自律を担う団体としては全く機能していない。社会に対しては医療を守る公益団体だといい、勤務医に対しては医療制度を守るために開業医と勤務医は団結するべきだと主張した[14]。実態は、開業医の経済的利益の擁護を最優先課題とし、二重の代議員制度で勤務医の意見を抑圧してきた。こうしたガバナンスの不備のため、ほとんどの活動が結局は開業医の経済的利益のためではないかと見られてきた。

 日本では、江戸期以後、政治的影響力を大きくすることと自らの経済的利益を主張することは両立してこなかった。江戸時代、切羽詰まった状況では越訴によって状況の改善が図られた。越訴では指導者は死罪になり、義民として神社に祭られた。戦後になっても、ストライキは日本では不人気で、社会に許容されなかった。戦国時代の恒常的な飢饉に対応するために発生した農村共同体の生存戦略と、享保、寛政、天保の三大改革などの歴史的積み重ねは、質素・倹約を日本人に刷り込んだ。

 医師は社会の少数派であり、金銭に関わりなく妬みの対象である。大同団結をして利益を主張するとかえって社会の反発を招く。日本医師会はこれまでの失敗に学んでいない。小選挙区制では選挙結果の振れ幅が大きく、ポピュリズムを強める。日本医師会がこれまでの方針を継続することは自殺行為に等しい。日本医師会が現在の混乱を脱して未来を切り開くためには、構図を一変させる大戦略が必要である。

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