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100通送って返事は8通…僕のドタバタ留学挑戦記
(2011.2.28訂正)

2011/02/25

 僕の教室の宮内忠則講師がドイツベルリン心臓センターに留学することになりました。Deutsches Herzzentrum Berlin、通称DHZBです。

 15年前に僕が約4年間過ごした病院で、僕の心臓外科医としての、ある意味スタートラインとなった場です。宮内先生はこのほど、ドイツ語検定(Deutsche Zertifikate)の初級試験に合格し、まずは第一歩を踏み出しました。僕としてもかなりうれしい!

 今回は、宮内先生の留学決定で思い出した、僕のドタバタ留学挑戦記をお話ししたいと思います。

 実は僕は、まだ医師5年目の時に、一度留学が決まりかかったことがありました。行き先は、これまたドイツのBad Oeyhausenの心臓センターです。センターのスタッフだった南和友教授にある学会で直接お願いして、その場で決めてしまったのです。

 条件は素晴らしく、その時行っていれば日本人2人目の留学生となるはずだったのですが、学位の実験途中だったことと、応援してくれていた岩喬教授が退官されてしまい、次の教授が「聞いてない!」とのことで、ちょっと迷いながらも結構あっさり、「ま、いっかぁ」って感じで諦めました。

 今から振り返ると、「どうしてあんなにあっさり諦めたんだろう?結構ねちっこい性格だって自負していたのに…」と思ったりもします。きっと、あんまりトントン拍子に話が運んだので、逆に物足りなさを感じていたのかもしれません。今は“あっさり”の方が好きなんだけどなぁ。

“合格率”はわずか3%(泣)
 でもって、せっかくなので学位をいただき、お礼奉公が終わるのを待ち、即座に留学準備に取りかかりました。ここら辺が僕のちょっと律儀なところで、実は“長いものには巻かれる”タイプなんです(笑)。

 まずは、施設選び!とにかく、留学願いの手紙を様々な施設に送りました。その数100通!最初から100通と決めていました。意味? 特にありません…。

 といっても、文面はほとんどが同じで、違うところといえば受取人と論文名だけ。Olivettiの古い電動タイプライターにワープロをつなげて、毎晩手紙の作成に勤しみました。「謀は密なるをよしとす」って感じで、楽しかったなぁ。

 ところがその動きが漏れたのか、はたまたはかない思いが通じたのか、当時の上司から留学の話をいただきました。それがDHZBです。ただし、Alexander von Humboldt財団の奨学金試験に合格することが条件。これはかなり厳しい…ということで、密かに、計画通りに100通+1通(DHZB)の手紙を送りまくったわけです。

 ところが、100通も送ったにもかかわらず、何と、返事が来たのはわずか8通。ぐぐぐっ…なめとんのかあああ!

 そのうちOKと言ってくれたのがマレーシアとシンガポール、それとニュージーランドの病院でした。合格率3%…唖然。

 「でも、ゼロでなくってよかったぁ」と気持ちを入れ替えて、その中からマレーシアとニュージーランドを選んで同時に交渉を始めました。とはいえ、電子メールもない時代で、電話と手紙での遣り取りはかなり苦労しました。

南十字星よりベルリンフィル
 一方、DHZBからはOKはいただいたものの、Alexander von Humboldt財団の奨学金は見事(予想通り?)に落選!…かと思いきや、財団からの手紙をよく読むと、何ちやらゴニャゴニャ書いてある。んん?業績はOKだがリサーチプランが不十分とのコメントが。つまり、「君、ちょっとええとこもあるやん」っていうことか!(ここら辺が厚かましい) …で、「私は財団の奨学生としてふさわしい!」と自画自賛の文章を書き連ね、それを添えた上で、再度トライ!

【訂正】1ページ第2パラグラフにおけるDeutsche Certificateは、Deutsche Zertifikateの誤りでした。お詫びして訂正いたします。

連載の紹介

昭和大元教授「手取屋岳夫の独り言」
「最近の日本の医療って、ちょっとおかしくない?」…と愚痴は出るものの、医師という仕事はやっぱり素晴らしい!一外科医として、大学教授として、教育者として感じた喜び・憤り・疑問などを、時に熱く、時には軽〜く、語ります。

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