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Never Give Up !
被災地へのエール、現場からのメッセージ
(4月7日更新)

2011/03/16

 3月11日に発生した東日本巨大地震について、被災地への支援の申し出や医療・保健情報、被災地で診療に当たる医療関係者の方々からの現状報告や支援の要請が日経メディカル オンラインに寄せられています。情報提供をいただいた先生方、大変な中、どうもありがとうございます。以下に内容を掲載いたします。

 被災地で奮闘している医療従事者の方々からのメッセージ、および被災地で役立つ医療・保健情報、支援の申し出やご提案、お問い合わせなどを、編集部の専用メール(nmo-s@nikkeibp.co.jp)でお受けしております。被災地の支援につながる情報を、ぜひお寄せください。どうぞよろしくお願いいたします。


4月7日1:57【被災地から】
被災地真っ只中の病院、研修医の先生を迎えました

 被災地の真っ只中にもかかわらず、気仙沼市立病院は新たに4人の研修医の先生を迎えました。町は壊滅しており、食糧や基本的な生活物資の調達にも不自由する状態です。その状況でも、若い先生が逃げずに研修に来てくれたことで、病院はまた、やる気を取り戻して活気付いています。
 日中はやはりまだ内科急患が多いという印象ですが、消化器内科が一般診療を再開できていない以外は、院内はほぼ通常の診療体制に戻りつつあります。外科も待機手術を始められるようになりました。
 しかし院外に目を向けると、避難所暮らしの方の生活はまだ非常に厳しい状態が続いています。震災後からADLが低下するとともに、避難所の床が非常に硬いため、褥瘡が多発しているという話も聞きました。褥瘡処置用の被覆材も十分にあるとは言えず、生活環境の根本的な改善もすぐには望めません。褥瘡の患者は今後も増えると予想されます。
 震災発生後からの連続勤務や、壊滅した町を日々目の当たりにすることで、精神的に失調を来している患者さんも来院してくるようになりました。被災者のケアは急性期を越え、精神的なケアの重要性が高まる時期に来ているのかもしれません。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月27日22:51【被災地から】
震災前と後、入院時の聴取内容の変化

 昨日は救急対応を大学からの応援の先生にお願いしていましたが、本日は私と応援の先生の2人で、救急受診する内科患者を診察していました。
 日中の総来院患者数は60人弱で、8対2くらいでやはり内科疾患が多くなっています。重症度の高い肺炎や心不全が驚くほど多いという印象です。ただ、逆に考えると、各避難所に立ち上げた診療所で診療とトリアージが的確に行われ、重症例が市立病院に適切に搬送されてきていることが分かります。
 震災後は、入院時に意識して患者背景を聴取するようにしています。「避難所暮らしか自宅暮らしか」「電気・水道は復旧しているか」「迎えに来てくれる家族や親戚はいるか」といった点です。震災前には聴取することもなかったこれらの情報の把握は、退院を考えるときに非常に重要になるからです。残念なことに、患者さんの半数近くは家を津波に流されてしまって避難所暮らしという状況で、自宅で通常通りの生活をできている方はごくわずかだからです。
 避難所、電気・水道の通っていない自宅にいる患者の生活環境は極めて苛酷です。そのため、急性期治療が終わった後は内陸の病院に短期的な転院をお願いしたり、遠くの親類の家に退院してもらったりと、患者さんには多くの負担を強いている状態です。仮設住宅などの安心して療養できる環境が整わないと、被災地の方々健康はいつまで経っても抜本的に改善されません。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月25日22:14【被災地から】
医療スタッフの住居の問題は全く手つかず

 今日で震災から2週間が経過しました。不思議なことに、ここ1~2日の内科救急患者は減少傾向にあります。各避難所に散って対応してくれている災害対策チームが、避難所で立ち上げた診療所において適切な治療を行ってくれていること、体力が低下している方たちのほとんどは病院に来て入院してしまったことなどが理由として考えられるかと思われます。
 ところで、少しのんきな話に聞こえるかもしれませんが、年度末を迎えるに当たってスタッフの間で話題になっているのは、今後の住居の話です。病院近くの鉄筋のアパートは津波後もそれなりに残っていますが、1階はほぼ浸水しているため入居不能。空いていた部屋も震災後早々に押さえられてしまったと聞きます。
 また、4月に異動になるはずだった医師の異動が5月にずれ込み、住居の契約の問題で家を出なくてはならない医師もいます(私もその1人です)。
 看護師も含めて、家を失ったスタッフはかなりの数に上ります。みな、病院の中に仮眠の場所を各々見つけて眠っています。眠りを取れるのは、器材庫だったり、リネン室だったり、空いている病室だったりです。ちなみに、応援の医師・看護師の一部は何と透析室で眠っています。
 避難所暮らしをしている方々からは何ともわがままな話に聞こえるかもしれません。しかし、不規則な勤務が続く病院スタッフがしっかり眠る場所が確保できないことは、医療の供給体制を揺るがす大きな問題となりつつあります。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月23日13:51
低体温症対策にサーモグラフィを活用できないか

 私は日本サーモロジー学会の理事長をしておりますが、避難所等の生活環境や低体温症の測定にサーモグラフィが使えるのではないかと思っております。一昨年の新型インフルエンザ騒ぎでかなり導入されましたので、持っている施設もけっこうあるのではないかと思います。
 私が評議員を務めている日本登山医学会で低体温症を扱っていましたので、発案し、メーカーに借用を依頼しましたところ、借用することができ、明日出発する支援隊が持って駆けつけることになりました。
 全身的な低体温症は体温計で十分判断できますが、四肢等の血流障害を起こしやすい部位の温度測定にはサーモグラフィが最も簡単で、判断も容易につくと思っています。また、体だけでなく、床や布団、壁等の温度も簡単に測れますので、避難所内で、どこがより暖かい場所か、お年寄りや小さなお子さんをどこに寝かせてあげるべきか、等の指標になるのではないかと思っています。
 サーモグラフィには電源を必要とするものと、充電式のものとあり、電源を必要とするものの方が多く導入されているとは思いますが、もしも、避難所近傍の医療施設に、インフルエンザの時に導入された機器があり、使用できる状況にあれば、使ってみてもいいように思っています。
 少しでも役に立てればと思い、ご連絡させていただきます。
(香川大学医学部附属病院手術部 臼杵尚志)


3月22日22:02【被災地から】
気仙沼は徐々に好転、他地域が心配です

 連休明けの火曜日(今の状況で、連休も何もないような気はしますが)。「薬がなくなった」という大勢の患者さんに対応するため、今日は市立病院の医師のほとんどは院内に残って仕事をしました。
 震災直後の「薬が津波で流された」という要望に対し、3日分、5日分と処方し、状況がやや改善して1週間分と、処方期間を伸ばしてきました。連休明けはそれぞれの処方が切れて来院する患者さんがたくさんいて、院内はごった返し。院外での活動はほぼ、災害派遣チームにお願いすることになりました。
 夕飯のおにぎりをほお張りながら外科のリーダー格の先生と、昨日(3月21日)書いた、院外の患者に対応する三段構えの診療体制について話しました。市立病院を核として、避難所に設けた診療所をサテライトとし、避難所に来られない患者さんを巡回という三段構えの医療形態は、緊急事態で自然発生的に形づくられた形態なのですが、理想的な形で機能しつつあるということで意見が一致しました。
 この“美しい”形態をつくることができた理由として考えられるのは、まず市立病院がほぼ無傷で残ったこと、電気や医薬品の流通が震災後4日目くらいから復旧し始めたこと、東北大学をはじめ、災害派遣チームを全国から十分に派遣してもらえたこと。そして何より、市立病院の医師、看護師、スタッフが自らの生命の危機すら迫る中、輝きを失わず健康に働けたことが大きく寄与していると思われます。
 このように気仙沼市立病院では事態が徐々に良くなってきていますが、ほかの地域の病院の状況は人づてでしか伝わってきません。特に石巻赤十字病院が非常に厳しい状況に置かれていると聞くのですが、正確なところは分かりません。県や国が状況をどれだけ把握しているのか分かりませんが、より厳しい地域にヒト・モノを優先的に分配するシステムは果たして構築されているのか? 現場では心配なところです。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月22日16:20【被災地から】
応援の先生方、行政窓口を一度通して来ていただけますか

 福島県相双保健所所長の笹原賢司と申します。
 現在、被災地である相馬市などの避難所へ他都道府県からの応援医師が次々と駆け付けてきてくれており、非常にありがたく感じております。
 ただ、避難所の現場へ直接駆けつける医療チームもあり、巡回中の地元診療所の先生方と鉢合わせするなどの混乱も起きているとの情報が入ってきております。
 せっかくのご好意は非常にありがたいのですが、県本部、保健所、市町村保健センターなどの行政機関窓口を通して来ていただけると、地元診療所の先生方との役割分担ができ、効率良く巡回診療ができると思います。
 御配慮方、よろしくお願い致します。
(福島県相双保健所所長 笹原賢司)


3月21日22:01【被災地から】
急患をフォローする三段構えの体制が見えてきました

 今日は東北大学からの応援医師と研修医の力に頼って、院内の管理をお願いし、お留守番を免除してもらいました。その代わり、横浜市立大学からの医療チームに帯同して、気仙沼地区でも最も壊滅的な被害を受けた地域の一つである、鹿折(ししおり)地区の避難所になっている鹿折中学校に行ってきました。
 気仙沼市立病院には現在、全国からの医師を核とするチームが20前後組織されていて、17地域の避難所に散って、診療に当たっています。地元の医者もスムーズな診療には必要なようで、本院の医師も可能な限りチームに合流し、院外での診察に従事しています。
 予想されたように診療ニーズの圧倒的多数は内科疾患となり、避難所では感冒も流行り始めました。1カ所の避難所ではインフルエンザの発生も確認しています。
 私が参加したチームの今日の主なミッションは、避難所の中学校に診療所を作り、患者をある程度集約することでした。
 市立病院をセンターとして、主な避難所に設けた診療所をサテライトとする。さらに、ガソリン不足の状況で遠方から来られなかったり、ADLが低いために診療所まで来られない人たちのヘルスケアを巡回という形でフォローする。この三段構えの体制のイメージが、ここ2~3日で見えてきました。
 急患に関してはこのようないい形ができてきましたが、市立病院のマンパワーの問題は依然として解決していません。一部の診療科を除き、通常の外来は始められないままです。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月20日21:41【被災地から】
薬剤師のマンパワー不足で、抗癌剤投与にしわ寄せ

 気仙沼市立病院の本日日中の救急受診は87人。救急受診患者数はある程度計算できるようになっています。もちろん通常業務とまではいかないけれども、ライフラインは復旧し、医療資源も流通するようになり、院内ではそれなりの水準の治療を提供することができています。予想通り、救急受診患者、および避難所にいる患者さんたちの多くが、肺炎を中心とする感染症、喘息、肺血栓塞栓症などの内科疾患にシフトしつつあります。
 そして、ここ数日は地域の基幹病院として、治療の目を院外に向け始めています。具体的には病院への受診ができず、アラートを発信できずに体調を崩されている患者さんをピックアップすること、および薬剤がなくなってしまった患者さんに処方を行うことです。関東や東北のD-MAT(Disaster Medical Assistant Team)と協力し、避難所を回り始めています。
 ただし現状では、大量の処方をさばく薬剤師のマンパワーが不足しているという問題が生じています。しわ寄せとして、ミキシングにマンパワーを要する抗癌剤の投与ができないという意外な事態に陥っています。
(気仙沼市立病院呼吸器科 椎原 淳)


3月19日16:02
暖の取り方(低体温の予防)

 被災された方々の状況を拝見し、大変心を痛め心配しております。着の身着のままで食べるものさえあまりない状況、大変だと思います。
 暖房の手段もないとのことで心配しています。被災地でもできそうな、わずかではありますが、暖をとれそうな方法を紹介させていただきます。(実際にされているかとも思いますが)

1.廃材などで焚火をする
2.火の周りを手ごろな大きさの石やブロックで囲む
3.石などが程良く温まったら取り出し
4.(やけどしないよう気をつけながら)新聞紙などでくるむ(ススだらけなので)
5.布団の中へ持ち込む、または、毛布などをかけてこたつのようにして暖をとる

 私は、寒い時期のキャンプでは、この方法でかなり眠りやすくなりました。なお、やけどには十分にご注意ください。


3月19日13:46
気仙沼と日立の状況

 都内の病院に勤務する医師です。いまだ現地入りしていませんが、災害医療派遣が決定しており、昨日ブリーフィングがありました。
 この時に得た情報は以下の3点です。
(1)災害拠点病院として整備された気仙沼市立病院は機能している
(2)ただし、物資不足が大きな足枷になっている
(3)通信手段がほぼ全廃で、通話可能なのはAUのみ、docomoとSBは通話不能
 (3)の状況により、我々がどの程度の物資を持って行くべきなのか、また、避難所での診療だろうと推測はしているものの、行う業務内容について全く情報が入っていません。持参する物資に付いては完全な「暗中模索」です。(院外処方を推進しすぎたため、病院から持参できる医薬品の物量にも大きな制限があります)
 主たる被害地ではないものの、日立市内の病院では透析患者を栃木まで、維持透析のために定期搬送しているそうです。患者数の問題から病院持ちの救急車では台数が足りず、ほかの車両を使おうにも、緊急車両登録を受けるのに一手間。外見が緊急車両らしくないこともあり、常磐道の入り口でも最初は面倒があった模様です。
 物資の不足は御社でも十二分に把握していらっしゃると思いますが、現場では通信と移送手段が一番問題となっているとのことです。
 以下は私見ですが、平時には不当な利権になると考えるためか、医療関係者に対する便宜を特に嫌う国柄のためか、doctor's plate(車のナンバー)や携帯電話の優先通話登録などのシステムが日本にはありません。この辺りが整備されていれば、今の状況は幾らかでも(かなり?)良くできていた可能性があるのではないかと思います。


3月19日10:03 【被災地から】
手が届かない避難所が多くあります

 昨日まで、幸い建物自体に損害がなかった病院で働いていた医師です。
 東松島市は隣の石巻市同様、大きな津波被害を受けています。市の保健センターには自ら被災者となられた地域の開業医の先生達が、臨時診療所を設け、同じく薬局を開いている薬剤師の協力を得ながら、当面の投薬や治療を行ってきました。避難所にいる方々や普段から薬を飲んでいる方々が多く集まって来ていました。
 来られた方々は家ごとあるいは車ごと所持品を流されてしまっていました。浸水による被害も多く、言葉通り命からがら逃げて来た方々です。しかしここに来ることの出来る方はまだ幸せと言えるかもしれません。
 避難所はあちこちに散らばっていて、いまだ手が届かないところが多数あります。浸水による道路の寸断は一週間でかなり改善はされていますが、医療チームは文字通り人手不足です。そして町の中心部は開業医の先生方も間もなく動けるようになると思いますが、離れた避難所にいる人には交通手段がなくて手が届かず、携帯電話は1週間まったく使えないため状況が判りません。多少の薬を携えたチームを巡回させて下さい。
 地域の復興には自衛隊の活躍が頼もしく感じられました。ここだけでなく牡鹿半島の方々も心配です。
 早く実情を知らせたかったのですが、少なくとも昨日まではネットに限らずNTTを使った連絡は全くできませんでした。私自身、仙台市内の自宅に戻れて、これを送っています。

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