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南相馬に支援物資を!

2011/03/17
色平哲郎

いま、南相馬市が「陸の孤島」になっている。

地震に見舞われ、大津波に襲われ、遭難者の捜索がやっと始まったところで、
福島原発事故で「屋内退避」を命じられている。

援助物資は福島市に届いているのだけれど、南相馬市を「汚染地域」扱いにして、
車で40分もかかるところまで「取りに来い」と言われている状況だった。

風評被害がひどい。

同市の桜井勝延市長とは十年来の友人だ。

昨日、彼は、夜のNHKニュースのなか、電話で窮状を訴えた。

しかし、今日17日、直接電話で話してみると、
状況はまったく改善されていなかった。

国は、南相馬市を見離さないでほしい。

相双保健福祉事務所副所長の笹原賢司氏は次のように語っている。
以下、引用。

事務所は、現在「屋内退避」区間の南相馬市にあります。
ここのところ、平均睡眠時間が2~3時間程度という日々が続いています。
さてさて、何故にここまで?と思うほど、
原子力災害への恐怖ってすごいんですね。
先ほどのNHKニュースでもありましたが、こちらでは、
ガソリンが全く入りません。
タンクローリーの運転手が入るのを拒否しているとか。
市長が全国放送で声を荒げてました。

これまでの経過を振り返る余裕がようやく出てきましたので、
簡単に紹介したいと思います。
Yahooで経過をたどると、
「12日午後3時36分頃、福島第一原子力発電所1号機建屋付近で、
ドーンという大きな爆発音とともに白煙が上がり、
原子炉建屋が骨組みを残して吹き飛んだ」と出てきます。
そのまさに翌日、3月13日は、原発から5kmの距離の
「オフサイトセンター」に医療対策班長として詰めました。
老健施設など、避難区域から逃げ遅れた人達のスクリーニングの
優先順位を決め、放医研の先生を現地に派遣しました。

夜の仕事は救急患者のサーベイと除染でした。
周囲の病院はすでに職員は避難し、「もぬけの殻」となってしまっていました。
患者を受け入れられる状態の医療機関でも、サーベイで「汚染なし」
のお墨付きを与えないと受けてくれない状況でした。
そこで、救急車は必ずいったんセンターに立ち寄り、
その後医療機関へ向かうという段取りでした。
放医研スタッフがサーベイと除染、私が雑ぱくな全身状態の把握と、
役割を分担しました。
6人の患者を23時~翌2時の間に受け入れ、その間、
外にほぼ出ずっぱりの状況でした。

久し振りにERを体験し面白かったのですが、印象深かったのは、
保健所への帰庁時、職員にサーベイしてもらったところ、靴底以外、
すべてバックグラウンドレベルであったという事実でした。
センターの続きの仕事をそのまま持ち帰り、逃げ遅れた人達840名の
スクリーニングを保健所として受け入れましたが、すべて10万cpm未満。
そんなもんです。

長くなりましたが、要するに何が言いたいかというと、
皆様はサイエンティストでしょう?
科学的根拠の全くない無駄なスクリーニングや、
「福島から逃げてきた人へのスクリーニング」なんて、
汚染地域みたいな言い方を許容してほしくないのです。
むしろ、本庁等の担当者に無駄な労力、金、時間を費やさないこと、
最大の被災地である福島原発立地地域への偏見を取り除くような啓発を
ぜひお願いします。

ただ、私も経験がなければ分からなかったとは思いますが。

 南相馬へ支援物資、ガソリンを!!

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著者プロフィール

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介

色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。

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