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大震災の現場から Vol.13(3/23訂正)
メディアの「心のケア」という言葉にいら立ち
悲しみと再会の感動が入り混じる日々

2011/03/22
仙石病院理事長 神部広一

 以下は、仙石病院(宮城県東松島市)の理事長、神部(かんべ)広一氏が3月20日の朝、東北大学泌尿器科学教室が運営するメーリングリストに寄せた報告である。仙石病院は脳神経外科・泌尿器科・内科の専門病院で、石巻近くの東松島という地域にあるが、この地域には例外なく津波が押し寄せた。

 「心のケア」の大切さは十分承知しているが、報道番組などでそれを指摘されるたび、いら立ちを禁じ得ない―。こうした言葉から、最前線の医療現場をあずかる神部氏の焦燥感が伝わってくる。現状報告に加え、被災者への診療における自己負担金の扱い、一般の保険診療と災害医療の混在、院外薬局への配慮、地域医療の提供体制など、通常診療の再開に当たって解決すべき課題も指摘している。

 掲載に当たり、元の文章の主旨を変えない範囲で編集を加えた。


3月20日7時29分 の投稿から

I先生
 昨晩やっとネットがつながりました。御心配をおかけしましたが大丈夫、元気です。地震そのものの被害は、当院を含めて比較的軽微だったと思います。しかし、そのあとの津波で悲劇が起こりました。

 沿岸部の破壊的な津波で、多くの犠牲が出ました。私は勤務中だったので出番の職員には被害がないことがすぐ分かりましたが、非番(夜勤者など)の職員の安否が心配でした。約200人の職員のうち、2人が犠牲になりました。

 地震後、病院の周囲にも次第に水が上がってきてはらはらしましたが、深夜零時ごろ、1階の床の5センチほど下で水位が止まりました。当院の建っている場所は少し高かったとみえます。翌朝、周りを見ると一面の水で、秀吉にやられた高松城もかくやと思われる光景でした。水はじきに引き始めましたが、駐車場の車の多くは、浸水の影響で動けなくなりました。

 震災発生後の2日間程度は、周囲の道路が冠水していてほとんど行き来できず、患者も普段より少なかったです。

 職員の中には子供2人を失ったり、夫や子供を失ったり、両親を亡くしたりした者が計20人ほどいます。また、1日水の中にいた者や、2階にいてボートで救助された者もいます。昨日(19日)も、連絡がつかずに生存を半ばあきらめていた看護師が避難所からやってくるなど、悲しみと再会の感動が入り混じった日々です。

 助かったものの帰る家がない職員が多く、ほとんど全員合宿状態です。院内の会議室には、職員の児童が約30人と、保育士さんが同じく合宿状態です。入院患者、救急・一般外来の患者(ほとんどの人が保険証や現金を持っていないので、今のところ全員無料で診察しています)で病院はあふれかえっています。

 食料はやっと届きはじめましたが、最初のうちは家庭の米を持ち寄って入院患者におかゆを出すなどしていました。食事は初めの3日ほどは各食小さなおにぎり1個でしたが、不思議なことに、慣れるとこれでも十分なものです。普段の飽食が反省されます。

「心のケアが大切」それは分かっているが…
 金曜日(11日)に起きた災害でしたが、翌週木曜日(17日)には電気が、金曜日(18日)には水道が復旧しました。病院なので最優先してくれました。電気が来たことでレントゲンや検査機器を動かせるようになり、本格的に外来患者に対応できるようになりました。

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