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原発への不安で留学生が次々に帰国、でも…

2011/03/26
引地悠

 2年前から、秋田県国際交流協会が主催している「あきたのファミリー」という事業に、ホストファミリーとして参加しています。秋田県内に留学中の大学生と、秋田県民との交流の機会を増やそうというのが、この事業の狙いです。

 今年、我が家が知り合ったのは、中国から留学している2人の女子学生さんです。2人とも日本語が達者で、子供好きなため、娘との相性もばっちりで、よい交流ができています。

 先日の地震後、不安な生活を送っているのではないかと思い、連絡を取ったところ、1人は中国に帰国中でしたが、もう1人はまだ秋田に滞在していらっしゃったので、久しぶりに食事を共にしようと、自宅に招待しました。

 この会食中に話題になったのが、彼女の周りの留学生たちが、次々に母国へ帰国している、という事実でした。その一番の原因は、やはり、「福島第一原子力発電所事故」です。日本国内、海外でも、いろいろな情報が飛び交う中、不安を抱えたまま異国の地で待機するより、母国へ速やかに帰国した方が、確かに賢明かもしれません。

 原子力発電所。私は、子供の頃から、母親に「原発は危ない。チェルノブイリのように事故が起きたら、大変なことになる」と言い聞かされて育ってきました。そのため、なんとなく危機感を抱いていたものの、深く追求はせず、見て見ぬふりをしながら、原子力発電の恩恵に預かり、これまで快適な暮らしをしてきました。

 今回の震災で、ガツンと頬を殴られたような思いです。放射能に対する恐怖は、とてつもなく巨大で、考えれば考えるほど、怖くて仕方ありません。これまで問題を軽視していた自分を、情けなく思い、悔いています。

 海外在住の友人は、「いざとなったら、日本を脱出してこちらに移住したらいい」と真剣に薦めてくれる人もいます。しかし、私は、留学生のように、仮の住まいとして、ここ、日本にいるわけではないのです。これまで、原子力発電所に多大にお世話になってきた責任と感謝があり、そして、母国である日本を愛しています。

 まして、福島の方々の心中を思うと、胸が張り裂ける思いです。その哀しみの中にあって、なお、生まれ育った故郷への深い愛が、皆さんの心にあるのを、感じます。

 今、このときは、「原発の是非」や「責任の所在」を論じるのではなく、起こってしまった原発事故による被曝を、いかに最小限に食い止めるか。そして、今を生きている私たちへの影響だけではなく、未来の子孫への影響も含めて、人類の英知を集結することが、目下の課題だと考えています。そのために、自分ができることを、懸命に摸索しています。

 被曝の恐怖と戦いながら、現地で復興作業に取り組まれている方へ。本当に、本当に、ありがとうございます。重荷を、代わりに背負っていただいて、今、働いてくださることに、深く、深く、感謝いたします。

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著者プロフィール

引地 悠●ひきち はるか氏。2004年宮崎大卒後、洛和会音羽病院(京都市)にて初期研修2年、後期研修1年。07年4月中通総合病院(秋田市)総合内科で後期研修。09年1月に第1子を出産し、10年1月に復職。

連載の紹介

引地悠の「仕事と育児のベストバランスを求めて」
「結婚して子供を産んでも、臨床や研究の第一線から退きたくない」と考えていた引地氏。2009年1月に第1子を出産し、育児休業を1年間取得後、2010年1月に復職しました。新米ママ女医として盛りだくさんの日常をつづります。

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