海苔弁は好物である。

 貧乏臭くて申しわけないが、あれは日本が誇る弁当文化の傑作ではないか。見た目の主役は白身魚のフライなのに、「白身魚のフライ弁当」ではなく、舞台裏で存在を支える海苔をフィーチャーするセンスは秀逸だと思う。

 きんぴらや、ちくわの磯辺揚げの下、白米の上に敷き詰められた海苔のさらに下層に潜み、おかずとしてカウントされることすらないおかか。地味ながらも、その本質において、海苔弁の味とは、やはり海苔とおかかと米の三位一体である。見た目の印象に惑わされずに、味の記憶をたどれば、それはまさしく海苔弁と呼ぶことが相応しい。

 今回ここに紹介するのは海苔弁の王者である。店の名を「海苔弁 いちのや」と言う(靖国通り本店 東京都千代田区九段南2-2-5)。

 トヨタの広報車貸し出し基地は、千代田区三番町の二松学舎大学の裏手にあり、東京メトロの九段下駅から10分ほど歩く。クルマを借りに行く度に前を通り、気になっていた靖国神社前のこの店。なんと「海苔弁の専門店」である。

 そのうち広報車返却の後買ってみようと企んで、無理矢理スケジュールを調整した。朝飯抜きで、空腹を我慢してランチを後倒し。クルマを返して店にたどり着いたのが、15:45。しかもイートインなんてないので自動的に持ち帰り。専門店なので当然メニューは海苔弁一本勝負で、お値段1000円。しかも外税でタルタルソースは別売、レジ袋代も加算されて1139円也を支払う。普通の海苔弁が3個半買える。

 お値段から言っても、流石に作り置きではないので、10分お時間をと指示されて店内で待つ。ようやく出来上がった弁当の包みと空腹を抱えて、一目散で自宅へ戻る。何よりもこれだけの逸品、できるだけ作りたてを食いたいではないか。

 お味の方は期待を裏切らない。そもそもそこらで買える安物の海苔弁ですら、「安価で美味しい」を追求したもの。その上、素材の吟味を徹底し、調理の手間を惜しまずかけたとなれば美味いに決まっている。

 例えば白身魚のフライは、普通の海苔弁のそれと違って、魚肉にしっかりとした弾力がある。ホロッと崩れるはかなく淡泊な白身もそれはそれで悪くはないのだが、肉質の強さが違う。加えて魚肉の旨味が上質。イノシンの味というと美味そうに聞こえないかもしれないけれど、要するにアデノシンとリン酸の化合物が筋肉に蓄えられたエネルギーの味。

 赤身魚ほど濃厚ではない白身の魚ならではの旨味が明瞭にある。タルタルソースと衣のクリスプ感で、淡泊な魚肉を意識させずに食わせてしまう量販品と違って、白身魚本来の旨味をちゃんと味わわせるところが流石である。ちくわの磯辺揚げも含めて、揚げ油のさっぱり感はとても良い。

 鶏肉の味噌焼きは白身魚と同じ統一感だ。銘柄鶏特有の歯ごたえと肉汁。違いはイノシン酸に加えてグルタミン酸のよりストレートな旨味。それに焼いて焦がした味噌の香ばしさと甘みが加わって、もっと食いたくなる。みずみずしい漬物も期待通り。そしてそれら全てを率いてまとめ上げる海苔とおかかと米の鉄壁の布陣。

 という具合で、これは時々食いたくなる。ただまあ筆者の金銭感覚では1000円超えの海苔弁は高い。高いがたまになら良い。こういう安価であることが常識で、多くの人に親しまれているものに3倍くらいの値付けをして、クオリティにおいて歴然とした差別化を図って成立させるビジネスは確かにありだと思う。特に1000円程度の価格帯において。

 と、ここまで書いてから、大まじめに海苔弁のインプレッションをかましたことが照れくさくなってきたぞなもし。読者の皆様がどう思われるかはよくわからないけれど、体験・体感をデッサンして描くという意味では、クルマのインプレッションとさして差はない。という面白みもあることは発見であった。さて本論に移ろう。

「中国製EVの躍進」について

 ここしばらくの話題は中国製のEVの躍進ということになるだろう。「宏光MINI EV」が42万円の価格で爆発的ヒットだとか、上海蔚来汽車(NIO)のフラッグシップモデルはバッテリー容量150kWhで航続距離が800キロだとか言われているアレである。

 NIOの株価上昇率は米テスラを上回り、その躍進はまばゆい成功例として語られ始めている。まあそうだね。スゴいね。では終われない。そんな気軽な話ではないのだ。以下、順を追って説明しよう。

 国家間には様々な差異がある。例えば労働コスト。あるいは技術・産業基盤の厚さ。そういう実力差を調整するために関税と為替レートがあるわけだが、それらはあくまでも緩衝装置であって、その発動は抑制的に行うべきである。

 なぜならば、本来自由経済というものは、その中心に競争を置き、良品廉価を成し遂げた者が勝ち、敗れた者は退場していく。そういう無限のトライアルの中で継続して進化していくものである。ここで言う進化とは「世界中の人々がより豊かで文化的な生活を送れるようになること」を意味する。

 だからこそ、継続的な競争を絶やしてはならない。

 よって自由貿易の促進のために設立された世界貿易機関、WTO(World Trade Organization)では「自由(恣意的規制の排除)」「無差別(相互に可能な限り開かれた平等な市場)」「多角的通商体制」を目指す。この他に付帯的に「情報通信(相互的情報開示)」「知的財産権(技術移転などの強要の禁止)」などのフェアネスも求められる。

 もちろん例外もある。あまりに急激な市場の変化による経済システムや国民生活の破綻を防ぐため、時間軸を引き延ばして、変化をなだらかにするために、為替や関税がある。

 例えば経済力に大差がある途上国と先進国がハンデなしで戦うことには無理がある。こうした場合は保護的な関税を用いて、輸入品の市場での価格を引き上げ、国内産商品との競争力を調整する。あるいは、為替に対する投機的な動きが急激に立ち上がって産業・経済の継続性が損なわれ、本来の目的である「国民を豊かで文化的に生活させる」目的が失われることもある。そうした際の緩衝装置として関税や為替介入が必要なのだ。

 ただし、それらはあくまでも最終的には相互的で自由な取引を目指す過程での経過措置にすぎない。なので、それらの発動は先に述べたように十分に抑制的、最小限である必要がある。例えば、政府による極端な為替介入で自国通貨安を長期間続ければ、周辺国にとってはダンピング(不当廉売)となるし、過度の関税はその地域の国民に良品廉価な商品を入手するチャンスを失わせることになり、自由競争の健全な発展を阻害することになるからだ。

WTOのルールを無視し続ける中国

 さて、中国は2001年に、WTOに加盟した。WTOは国際間の商取引を取り決める機関であり、加盟各国はそのルールを順守することが求められる。

 それを中国は守らない。例えば日米間の自動車に関して言えば、WTOに加盟している中国は、本来加盟諸国からの自動車輸出を受け入れなくてはならない。ところがこういう場面で中国は突然国民1人当たりGDP(国内総生産)を持ち出して「われわれは発展途上国なので保護が必要だ」と言い出す。WTOには後発開発途上国(途上国の定義はWTO協定上は置かれていない)という枠組みがあり、それらの国々は、ルールの緩和措置が取られる。21世紀に入って以降の中国に適用されることが妥当なのかどうかは、皆さんの判断にお任せしよう。

 2015年には、うなる資金力にモノをいわせ、第二世界銀行とでも言うべきAIIB(アジアインフラ投資銀行)を中国主導で立ち上げ、世界の途上国に対して貸し付けを行い始めた。返済が滞ると、港湾などの重要拠点を租借という名目でカタに取るという「債務のワナ」はお聞きになったことがあるだろう。

 その一方で、世界銀行(もともとあるほう)からは途上国向けの特別利率で融資を受け、それを原資に少数民族支配のための顔認証監視カメラシステム構築を進めていたことが発覚し、米国の強い抗議で融資を止められた。GDP総額世界第2位の顔と、国民1人当たりGDPが少ない途上国の顔とを都合によって切り替えながら交渉を有利に運び続けてきたわけだ。

巨大市場と国家統制で手に入れた「技術」

 さて、自動車の話だ。

 ごく一部の例外を除いて自動車の輸入を受け入れない中国は「中国でクルマを売りたければわが国に工場を設立せよ」と各国自動車メーカーに迫った。もちろんルール違反である。しかしこれで終わりではない。「工場を設立したくば、わが国の企業と合弁会社を設立し、株式の過半を中国企業に保有させよ」と更なる要求を突きつける。

 条件を飲んで進出した企業は、技術情報の開示を求められる。そして知っている人は知っているが、中国である程度の規模を持つ企業は企業内部に共産党組織が必ず設置され、党組織は取締役会や株主会を超越する権限を持っている。そもそもにおいて、中国共産党は、中国政府はおろか、法律、あまつさえ憲法よりも上位に位置して、何者にも縛られないものと定義されている。法治国家ではなく党治国家という、世界でも希に見る政治体制なのだ。

 「外資が中国に進出するために中国企業と合弁企業を設立する」ということは、合弁先企業に技術情報が漏洩するだけでなく、中国共産党に技術情報が筒抜けであることを意味する。共産党は抜いた技術情報を使って、国営かそれに近い競合企業を立ち上げる。つまり宏光もNIOも、そうやって世界中から手に入れた技術でEVを作っている、と考えられる。

 明確な証拠があるかと言われれば、事実と思考の結果としか言いようがない。だからといって、これは言いがかりではない。すでに状況が先行しているスマホや通信の世界では、米国が同じ状況を継続的に厳しく非難してきた。トランプ前大統領が「知財権と助成金」について中国共産党に厳しい申し入れをして、強い経済制裁を課していたのはそのためでもある。

 さらに言えば、中国国内で販売する電気自動車(EV)やハイブリッド(HV)に使う走行用バッテリーは、必ず中国製品を採用すべしという条件も突きつけている。日産にいたっては、NECと合弁で立ち上げた車載バッテリーの会社を、やむなく中国に売却している。持っていても世界最大のEVマーケット中国で売るクルマに採用できないのでは意味がないからだ。中国は巨大市場と一党独裁を武器に、国際ルールを無視して、世界最大のバッテリー王国を築き上げている、と言える。

国家の助成金という名のダンピング

 核心はまだこれからだ。

 習近平政権は「中国製造2025」を掲げ、以下の重点ジャンルへの国ぐるみの後押しをしている。図<pdf8p>は経産省から出ている委託調査報告による実態調査レポートであり、いわば日本の政府が、「調査の上、事実である」と裏書きしている内容だ。

「平成29年度製造基盤技術実態等調査(中国製造業の実態を踏まえた我が国製造業の産業競争力調査)」平成30年3月30日 株式会社エイジアム研究所 より
「平成29年度製造基盤技術実態等調査(中国製造業の実態を踏まえた我が国製造業の産業競争力調査)」平成30年3月30日 株式会社エイジアム研究所 より
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 この中で「産業高度化政策」として特別に掲げられている分野は以下の10項目だ。この10項目については中国は2025年までに、覇権を握るという明確な目標を持っている。

1 次世代情報技術
2 CNC工作機械・ロボット
3 航空・宇宙装備
4 海洋エンジニアリング・ハイテク船舶
5 先進軌道交通設備
6 省エネ・新エネ自動車
7 電力設備
8 農業設備
9 新素材
10 バイオ医薬・高性能医療機器

 自動車は6. に掲げられている。

 さて、ここで一度話は逸れる。
 中国共産党が、5G、つまり「次世代情報技術」でどんな戦略を採り、それを世界がどう受け止めたのか?

 ここ数年、中国共産党がそうした重点産業への巨額の助成金を交付していることも大きな問題になっている。読者の皆様も記憶に新しいと思うが、ファーウェイの5Gネットワーク機器を世界各国が使用禁止にしたニュースを覚えておいでだろう。あの問題の中心にあったのがまさにこの国ぐるみの助成金だ。

 ウォール・ストリート・ジャーナルの報道によれば、ファーウェイには中国共産党から、実に8兆円という巨額の政府支援が行われているという。その結果、他国の5G機器は、価格面で全くファーウェイ製品に歯が立たなかった。本来フェアな競争によって、良品廉価の戦いが行われるべき所に、政府支出による巨額の助成金で下駄を履かされたのでは、競争が成立しない。

 仮にファーウェイが5Gによるグローバルインターネットのシステムを独占的に手中に収めれば、中国共産党は、敵対的政策を取った国のネットワークを即時ダウンさせることができるようになる。もしくは、その可能性が生まれる。今のネットに頼り切った社会を考えれば、それは実行してみせるまでもなく、「その力がある」というだけで、とてつもない影響力につながる。

 そういう覇権を見据えての国ぐるみのダンピングである。少なくとも西側諸国はそう受け止めた。ファーウェイが世界各国で5G通信機器のシステムから締め出されたのも無理はない。

 他国が、例えば産官学の共同研究などに巨額の税金を投入し、長い年月をかけた開発の成果を、独自ルールで縛って市場参入の対価として入手できる状況を作り上げ、さらに国家レベルの大規模補助金で価格を引き下げた結果のダンピング、となれば、世界の商取引から外されて当然だろう。というより、そういうやり方に世界が目をつぶっていた期間が長すぎた。

 クルマでの例を挙げれば、昨年倒産寸前だったNIOは「2020年4月、国有企業が10億ドル(約1060億円)の資金を注入、倒産の危機を回避、株価はこの1年で550%上昇している」(「『次のテスラ』育てる中国投資家」)。
 「次世代情報技術」と同じく「省エネ・新エネ自動車」もまた中国製造2025の10重点項目に組み込まれている。中国がアンフェアなやり方をするのは「次世代情報技術」に限った話だとか、あるいは「自動車だけ」は、そういうやり方が行われていないと考える人がいるとすれば、それはあまりにもナイーブである。むしろ重点10項目は全て同じやり方で押し切ろうとしている、と考える方が妥当に思える。

「中国はすごい」「中国にはかなわない」と思ったら術中にはまる

 ファーウェイの例を背景に置いて、42万円の「宏光MINI EV」を判断するなら、おそらくは42万円どころか4万2000円だって構わないのだと思われる。もっともらしい価格を付けているだけで、原価と利益の関係はもともと健全なものではないのだ。

 42万円という価格を「中国の技術力ゆえ」だと評価することは、「中国は他国が越えられない技術障壁をいち早く越えた」「だから中国に投資すべきだし、中国製品に対抗することは諦めるべし」という世論の醸成につながる。そしておそらく、それが中国の最大の目的だ。

 そうやって戦わずしてライバル諸国を諦めさせ、競合各社を葬った後、刈り取り段階で何が行われるかは中学の社会の教科書に書いてある通りである。

 ということで無邪気に「宏光MINI EVはスゴい」とか、「もはや日本は太刀打ちできない」とか触れて回っている人は、あまりにもカンタンに釣られすぎである。まさか承知でやっているわけではないと思うが、結果だけ見れば、見事なまでに彼らの戦略に協力してしまっていることになる。

 国内メーカーの技術者たちは歯がみをしているだろう。ルール無用の相手と戦っているという前提を知らずに、「だから日本は」などと言われたのではたまったものではない。剣道の試合にひとりだけ真剣を持って参加している相手に、竹刀でどうせよというのか。

 本来であれば、前回の記事に書いた通り、ちゃんと「低廉な価格で、メーカーも収益が上げられ、国庫も傷まずに、普段使いできる」EVが開発されるべきだ。しかし、「バッテリー価格が思うように安くならない」「航続距離が思うように伸びない」というEVの長年の課題をチャンスと見て、歪んだ手口でソリューションを出して見せたのが、現在話題になっている廉価な中国製EVの正体だ。

 それに「素晴らしい技術革新だ」と喝采を贈ることは、国ぐるみのダンピングという不正を後押しし、正直な技術革新を進める健全な製品を駆逐することにつながる。

 このまま行けば自動車だけでなく、中国製造2025に掲げられた10項目について、世界の企業には勝ち目は薄い。ルールを守らない相手を野放しにすればそれが当然の結末だ。

日本メーカーを努力不足と叩くのは愚かなことだ

 指をくわえて見ているのかという認識は当然各国政府にもある。EUは、中国が「中国製造2025」を打ち出した2015年以来、こうしたアンフェアな取引(少数民族の奴隷労働問題を含む)をあらためさせるべく、投資協定の締結に向けて7年間にわたって中国に厳しい要求を突きつけていた。その締結期限は2020年中だった。あと一歩という所まで追い詰めたところで、EUは突如大妥協をし、単なる努力目標で手打ちをしてしまった。裏切ったのはドイツのメルケル首相だった。

 とすれば注目されるのは米バイデン政権のスタンスだが、米国議会は上下院とも、徹底対決の姿勢を崩していない。新たに国務長官に選出されたアントニー・ブリンケン氏も、「トランプ政権の対中対決姿勢は正しかった」とすでに声明を出している。トランプ政権の政策に反発して、逆を行きたいバイデン新大統領だが、議会はそれを許さないだろう。果たしてどういう着地になるのか……。いや、ちょっと我ながら力が入りすぎた。国際政治の話題は別の方に譲ろう。

 自動車経済評論家として言わせてもらえば、激安EVは正しい意味での経済の力でも、技術力でもない。あれを見て「中国恐るべし」とか暢気に言っている場合か。「恐るべし」は技術ではなく、不正手段による覇権である。

 日本の自動車メーカー、あるいは技術者のひとりひとりは、こういう嘘まみれの過剰なパフォーマンスに一線を引いて、愚直に一歩ずつ人々が幸せになるための技術を開発し続けている。にもかかわらず、ともすれば、「ニッポン出遅れ」だの「茹で蛙」だのという心ない批判に晒されている。しかし、筆者は日本の自動車メーカーが「映え」だけを考えた大風呂敷を広げる姿など見たくない。ぜひともこれまで積み重ねてきた通り、愚直に真面目に技術を進化させていっていただきたい。

 その姿勢を一生懸命伝え、正直な技術が勝てるよう少しでも援護するのが、メディアの役割だと思う。安さだけが海苔弁の価値ではないと伝えることと、もしかしたら通じるかもしれない。

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